中川昭一 前財務金融相

三橋貴明の「ジパング再来」という本を読んでたら、こんな記述があった。

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2009年2月3日G7において中川昭一前財務金融相は、IMFの融資財源強化を目的とした最大1000億ドルの融資取り決めに署名。
IMFの代表者、ストロスカーン専務理事は「人類史上最大の融資である」と絶賛。
日本にとって、リスクゼロであるに関わらず、世界中の国々から最大限に感謝される。
正直、筆者はこれを上回る解決策を思いつくことはできない。誰が考えたのか知らないが、まさしく「天才の発想」だとおもう。

マスメディアはそれを完璧に無視した。挙げ句の果てに中川氏の朦朧会見を、明らかな悪意に基づき繰り返し報道し、最終的に辞任に追い込んだのである。
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へえ、と思ってたら、さっき死去されたことを知った。冥福をお祈りします。

とともに、ものすごく気の毒になった。
なんで、功罪の罪しか、マスコミは報じないのか。ひどすぎる。

もちろん、この本に書いてることが正しいかどうか、ワシにはわからんのだが。

# by asano_kazuya | 2009-10-04 14:42 | | Trackback 

変化

前の記事を読んで、自分で自分につっこみたくなった。

そりゃ、いつも変化してるだろうが、どう考えても『大変化」というのはあるだろう。

イギリスの産業革命しかり。日本の明治維新しかり。
この二つは、相当大きい。
また、インターネット以前以後も、ジンギスカン以前以後も大きい。

となると、単なる変化と大きな変化は違う。

最近は、いつも、なにかが変化している。特に、19世紀以降の世界の変化は激しい。
だから、もう、今となっては変化そのものは騒ぎ立てる必要はない。
ただし、変化とは別に大変化もあり、それは注意して分けないといけない。

世界を「動いてる車」に見立ててみる。

車は走っていると、ずっと移動している。景色も変わるし、燃料も減る。場所も変わる。
しかし、時速50キロで走ってる車は、10秒前とかわり映えしない。
しかし、80キロに加速したら、それは50キロのときとは違う。

この、加速の瞬間は、時代の変化といってもいいのではないか。

なんだか、書くのに飽きてきた。終わり。

# by asano_kazuya | 2009-08-10 10:37 | 心にうつりゆくよしなしごと | Trackback 

時代の転換期

二十の頃、本屋に行くと、「激動の時代を生きる」とか、「今は、経済的、歴史的な大転換期にある」といった内容の本がゴロゴロしていた。
世界的な視野だと「産業革命以来の転換期」であり、日本的な視野だと「明治維新以来の未曾有の危機」をどう生きていくかを説いた本たちだ。

その頃の麻野は、「へえ、そうなんだ。今は大変な時代なんだ」と素直に思っていた。
1980年代の話だ。

そういう本や論調は今もある。
たとえば、今日の日経ビジネスの、ある記事はこういう書き出しだ。

「現在、世界は大きな時代の転換期を迎えています。1年前、あんなに自信にあふれ輝いていたトヨタ自動車が、大きな構造変化の中で3度の業績下方修正を重ね、苦しみもがいている姿はまさに象徴的です。
 資源、エネルギー、BRICS、イスラム教、オバマ大統領、高齢化、温暖化、金融危機、世界不況、あらゆる事が物凄いスピードで動いています。例えば、5年後の自動車産業は、かつてレコード産業や写真産業が経験したように、大きく変わっていることでしょう。」

別に、この記事にいちゃもんをつける気はない。本当にその通りだと思う。

ただ、ハタチの頃から、ずっと気になっているのだが、「今が時代の転換期」というのは、常套句なのだ。

逆は聞いたことがない。
「今、時代の凪です」とか「この10年、世界は代わり映えしません」とか「世界は今日も昨日も同じです」とか。
おそらく、そんな文句だと読者の興味を惹起しないのだろう。
だから、「変化」ばかりが取りざたされる。


あえていうと、「失われた10年」という言い方はある。1990年代の日本だ。
しかし、これも、一種の異常事態としてとらえられている。
「戦後の日本で、こんな事態はなかった。こんなことが起きること自体が、日本の変化を現している」という含みがある。

つまり、いついかなるときでも、「今は、変化の時」なのだ。
麻野は、それがどうもひっかかっていた。

なんで、そうなるの?

思うにこれは、人がこどもから大人になるからというのがすべての原因ではないか。

わかりにくいか。

つまり、子供時代は、誰でもあまり変化を感じない。
とくに、小学生時代は長い。長すぎる。
きのうと同じ退屈な日常が永遠に続くような気がする。

ところが大人になると、やたら忙しい。
技術の発展があるので、おぼえることが次から次へとでてくる。
VHSの使い方を覚えたかと思うと、DVD,HDDといった具合だ。
麻野の実感としても、永遠に昭和が続いて、自民党が与党だと思ってたら、色々あった。

つまり、「子供の時は1年が長く感じられたのに、大人になったらあっというま」というのと、「今こそ、時代の転換期」というのは、ほとんど同じようなもんなのではないか。

もっといえば、「最近の若い者はダメだ」ということばとも同じといえよう。
古代エジプトの古文書からも、このコトバがでてきたという。
つまり、何千年も前から、若い者はダメ扱いされてきたという話だ。
ちなみに。どうもこの話は作り話らしいが、かまわん。あってもおかしくないと思うから。

結論。
いつでも、時代の変わり目だよ。

# by asano_kazuya | 2009-08-10 10:25 | 心にうつりゆくよしなしごと | Trackback 

やっと少し前向きに考えられるようになってきた

死んだキヨシローのことを引き受けて、前に進みたい。

冥福を祈ります。

# by asano_kazuya | 2009-07-19 22:11 | 心にうつりゆくよしなしごと | Trackback 

著者は日本人とのことだが


香港の空港で、中国人向け(台湾人向け)の日本語会話の本を見つけた。
「これを読めば日本語がペラペラになる」と序文にあるが、あまりの怪しい日本語に笑いが止まらず、思わず購入してしまった。











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第一章 友だちになる。

A:あなたのことをなんとお呼びすればいいですか?

B:ミッキーと呼んでください。

A:ミッキーマウスですか?

B:ユーモアがありますね。

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<麻野の感想>
文法的にはまちがってないが、かなり不自然な会話だ。
ミッキーという日本人は、まずいない。
それとも台湾人には多いのだろうか。
どっちにしろ、ミッキーと名乗る人に、「ミッキーマウスですか?」とたずねることもなければ、それにたいして、「ユーモアがある」と答えることも、日本では、考えにくい。

会話は続く。


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A:あなたは以前、台湾で学校に行きましたか?

B:そうですよ。

A:あなたは台湾に対して、どんな強い印象がありますか?

B:台湾の庶民料理が好きです。

A:どんな庶民料理が好きですか?

B:煮込みうどんです。

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<麻野の感想>

かなり、あさっての方角を向いている。

「行きましたか?」と聞かれて、「行きました」「行きませんでした」と答えず、「そうですよ」。
この時点で、「ペラペラ」からはかなり逸脱している。

「どんな印象がありますか?」に対応して、「好きです」という受け答えも、まあ、しない。
こんな返答をされたら、「人の話を聞いていますか? 私は、どんな印象がありますかと聞いています」とイライラしながら再度聞き直してしまいそうだ。

実在するのかもしれないが、「煮込みうどん」というのも、なんだか非常にそぐわない印象を持つ。

しかし会話は続く。


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A:煮込みうどんは、どんな理由で好きですか?

B:日本のラーメンに似ているからです。

A:あなたの名前を聞くのを忘れましたけど?

B:私は小明(しょうめい)です。

A:小明さんは台湾人ですか?

B:私は台湾の原住民です。

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頭が痛くなってくる。

なんで、ラーメンからいきなり、名前の話になるのか。
ミッキーでよかったんじゃないのか。
そもそも、小明をどう読めば、ミッキーになるのか。

そして、自分のことを原住民という人に、これからどう接すればいいのか。
ハラハラする。

ページをめくり、続きをよむ。

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A:なるほど。

B:発音からわかりますか?

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「なるほど」というのは、あっさりしているようにも思えるが、いきなり「原住民」だとカミングアウトされたら、そうとしか返事できないのも真実だ。
ある意味、リアリティがある。

しかし、それに対して、「発音からわかりますか?」と、これまた返答に困る追い打ちをかける。
そもそも普通の日本人には、台湾の原住民とそうでない人(外省人?)の発音は、まず区別つくまい。
これは、Bさん、自意識過剰だ。



次は、第二章 携帯電話(けいだいでんわ)。

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第二章 携帯電話(けいだいでんわ)

A:現在、何が流行していますか?

B:携帯電話それからMP3とMP4です。

A:現在、そんなにたくさんの物が流行していますか?

B:確かに現在、流行しています。

A:とても安いからですか?

B:はい。

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<麻野の感想>
ほんとかよ!


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A:現在、社会が変わっていますか?

B:そうかもしれません。

A:詐欺師たちが増えていますか?

B:たぶんそうでしょう。
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<麻野の感想>
たしかにね。振り込め詐欺とかね。
でも、「たち」はないなあ。

やがて会話は加速して、こんな風になってしまう。

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A:そんなに普遍的になっていますか?

B:時代は変わりつつあります。

A:なぜ、あるびと(人)は二つの携帯電話を持っていますか?

B:あるびとは仕事に必要だからです。

A:あるびとは?

B:あるびとは同じ電話会社の携帯電話で連絡するのが便利だからです。

A:同じ電話会社の携帯電話で連絡するというのは?

B:同じ電話会社の携帯電話で連絡するということです。

A:どんな意味ですか?

B:同じ電話会社の携帯電話で、もう一つの同じ電話会社の携帯電話に電話するということです。

A:それが同一電話網相互通話ですか?

B:そうです。
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どこの不条理劇だ!

# by asano_kazuya | 2009-06-24 18:07 | | Trackback 

まさか

盧武鉉が後追いするとは思わなかった。

驚いた。

# by asano_kazuya | 2009-05-24 02:21 | 心にうつりゆくよしなしごと | Trackback 

きついなあ

キヨシローが死んだと知って、とても受け入れがたく、連休中はずっと Civlization ばっかりやって、逃避していた。葬式も行かないと決めていた。

ところが昨日、葬式行った友達が電話をかけてきて、一緒に飲んだ。みんなに配ったという遺影の写真をみせてもらい、こりゃもう現実として受け入れざるを得なくなってしまった。

まいった。

かなりきつい。

オレは想像力が希薄なんで、物事が実際に起きてしまわないと、どういう気持ちになるかが想像がつかない。いつもだ。いつも想像がつかない。

一度は復活しながらも、また悪化したと聞いていたので、正直言って、時間の問題だと覚悟はしていた。単なる1ファンで、知り合いでもなんでもないので、見舞いに行くわけにもいかない。時折思い出しては、いてもたったてもいられない気持ちになっていた。しかし、まあ、わかってるので、その時が来ても、割と冷静に受け止められるだろうと思っていた。

甘かった。

全然だめだ。

この喪失感はたまったもんじゃない。

中島らもが死んだときも泣いたが、今回は輪をかけてひどいな。

もう、胸に穴があいて、たまらん。たまらんといえば、「たまらん坂」を思い出し、死んだのかとつぶやけば、「検死官はううー」というフレーズを思い出し、「キミが死んだなんていうのさー」ときて、泣きそうになる。

キヨシローほどの巨大さはなくても、他にも好きなミュージシャンも作家も俳優も色々いる。これから、そういった人たちがどんどん亡くなっていくと考えると、なんだか生きていくのがイヤになってくる。ちょっと前まで長生きしたいと思っていたが、なんかもう、生きててもしょうがないなと思えてきた。それとも、こういった悲しみには慣れっこになるのだろうか。

困った。本当に困った。

こういうのは、時が癒してくれるのは、経験上知っている。知っているが、きつい。きついなあ。

こんなことなら、キヨシローなんか知らなければよかった。「雨上がりの夜空」なんて、ラジオで聞かなければよかった。「スローバラード」も「トランジスタラジオ」も「つきあいたい」も「いけないルージュマジック」も知らなければよかった。タイマーズもラフィタフィも、知らなければよかった。ファンクラブなんかはいらなければよかった。

もう記憶を全部消したい。学生時代、夜中の2時に西宮から尼崎まで自転車のりながらずっと歌ってた記憶や、失恋したあの時この時に聞いてた記憶も、もう全部なくなってくれたら、どれだけスッキリするか。ああ、つらい。

どうしたらいい。だれか教えてくれ。もう、Civlization やってもダメだ。ドラクエでもするか。それともマリオか? いや、そういう問題じゃない。

ああ、少しマシになってきた。こういうのは波があるからな。また来るかもしれんがな。

クリスチャンになろうかな。そしたら最後の審判の日に、みんな復活するんだろう。みんな復活すればいい。いや、復活するのはクリスチャンだけか。キヨシローは違うな。じゃあ、ダメじゃん!

# by asano_kazuya | 2009-05-10 15:05 | ぼやき | Trackback 

キヨシロー

 

# by asano_kazuya | 2009-05-03 19:03 | ぼやき | Trackback 

除夜の鐘



「ふいんき」の三人と、三文堂さんとのコラボで、「除夜の鐘」のゲームをつくりました。

携帯で遊ぶゲームです。値段は99円! 安い!
大晦日、お参りにいけない人は、是非。

http://t.liveware.net/mgcsam



# by asano_kazuya | 2008-12-20 14:44 | ゲーム | Trackback 

『バカと東大は使いよう』

 日々、仕事に追われていると、なんのために生きてるのかわからなくなることがあります。大学の存在意義もそれに似ているのかもしれないと、この本を読んで思いました。

 個々の学問や技術が発展するのは、大学でなくても、企業や研究所でも可能です。となると、大学が大学であるための根本意義は、どこにあるのか。

 よく、万能細胞やDNA、脳死問題などを、どこまで許容するか、線引きをどこで行うかという問いかけが新聞などにのります。その問いかけに答える、あるいは答えないまでも議論の先頭に立つ。これこそが大学のおかれた立場なのかもしれない。そんな、大学のありように関するレビューです。

# by asano_kazuya | 2008-06-25 11:51 | | Trackback 

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