あの奥さん

この話は、ほとんどの人が知ってるだろうが、色々思うこともあるので、一応書いておきます。脚注というよりは、麻野の感想です。

宅間守は、有名な連続殺人の犯人。小学校にいきなり乱入して、刃物を振り回して、何の関係もない子供を何人も殺傷したという無茶苦茶な事件。ここまでは誰でも知ってると思う。

その宅間守。犯行当時は独身だった。ところが、牢屋に入れられた後で、宅間に求婚する女性が出てきた。宅間はそれに応じて結婚した。結局宅間は死刑になったが、記者会見を開き、「夫が罪を悔いるまで時間がもう少し欲しかった」とか、「手紙などで、色々諭したが、力が足りなくて悪かった」などとコメント。

……よくわからないんだよなあ。

まず、なぜ結婚するのかがわからん。普通、結婚って、たがいに将来を……いや、結婚観は人それぞれか。人によって結婚の意味って違うから、まあ、置いておくか。
求婚するのもよくわからんのだが、これも人にはわからない同情とかがあるかもしれないから、置いておく。

でも、どうしてもわからんのは、処刑後のコメントだ。

結婚してからの犯行だったら、わかる。家族としての責任を感じることもあるだろう。しかし、この人、犯行時は赤の他人だ。また、たとえば、国から「処刑までに罪の意識を持たせろ」との命を受けた神父が、こういうコメントをするなら、まだわかる。しかし、この女は、勝手に結婚しただけだろう。なんで謝るのか?

この女がコメントしているとき、各新聞社の記者はどういう印象を受けたのだろう。別に何も思わなかったのだろうか。非常に気になる。

ワシの率直な感想だが、この女は責任ないだろう。なのに、勝手に責任感じてて、わけわからん。何か、宅間を真人間にもどすことに使命感を感じて結婚したんだろうか? しかし、そんなもん、禁煙を誓った親父が「3日でダメでした」というのと同じで、勝手にやって勝手に後悔するべきもので、他人に謝るようなもんでもなかろう。

責任というのは、ある種の「義務」という印象があるが、ある意味、「権利」でもあるのではないのかと、今回改めて思った。この人、責任感じる権利あるのか? それこそ親父の禁煙と同じで、自分自身に対しての「責任」というのは、ちょっと言葉のアヤっぽいのを置いておいても、まだあるかもしれんが、他人にはないだろう。

ちょっと前に、イラクの人質問題で、自己責任という言葉が注目された。今回は、誰もそんなことをいわないが、ワシは、この獄中婚した女のコメントで、責任という行為や意味が、日本人の中で、なにかねじれてきているのではないかとの印象を受けた。そんな風に思うのは、ワシだけなのかな。


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「ベストセラー本ゲーム化会議:アフターダーク編」の脚注です。
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by asano_kazuya | 2004-10-14 11:56 | BGK