「電車男」のある書評


今号のダカーポ(552号)に、「電車男」の書評が載っていた。読んでで違和感を持った。といっても、たいした話でもないので、いつもならそのままにしておくのだが、今回、「ベストセラー本ゲーム化会議」でもとりあげたことだし、なんとなくタイムリーな気もするので、ちょっとブログに書いておく。

まず、重箱の隅をつつく。


電車内で暴れる爺さんの酔っ払いから救ってやった若い女性を、デートに誘いたい


とあるが、救ったのはおばさんであって、若い女性ではなかったはず。


中野独人という架空の人物が編集した


とあるが、「中野独人」というのは現実にいる人間だ。ペンネームを使っているだけだろう。この書き方はおかしいと思う。これだと、「坊ちゃん」も、夏目漱石という架空の人物が書いたことになってしまう。

次に、なんとなくずるいなと思ったところ。


「世界の中心」でまともに「愛」を叫んでいる人、あるいは、そういうリアルなストーリーに熱くなる人たちには、なんでこんな落書のスクラップのようなものが、ベストセラーになるのか理解できないかもしれない。


とかいてるので、「ああ、この評者は、理解できてるのだな」と思った。ところが、次の文章でこう書いている。


~悪名をはせている、狂暴な2ちゃんねらーたちが、“仲間”をリアルな恋愛の世界へと送り出すべく一丸となって協力したことが、“感動的”なのだろう。


「なのだ」ではなく、「なのだろう」ということは、評者は感動してないのだ。それは、感動に“ ”がついていることからもわかる。

つまり、「どうしてこの本がベストセラーになるのか理解できないかもしれない」と、他人事のようにいっているが、この著者自身、別に感動してないのだ。自分のことを他人事のようにいっている。

結局、この評者はどう思ってるのかいまいちわかりづらいのだが、最後の文章でやっとわかる。


リアル・ラブ・ストーリーというより、それを演じようとするスレ共同体のスレたストーリーとして読むと面白い。


麻野のまわりに、「電車男」をおもしろいといっている人間はわりといる。その中には、おたくの2ちゃんねらーもいれば、2ちゃんを読まない、オタクでもない、普通の中年もいる。しかし、だれもこんなひねくれた読み方はしていない。もっと単純に、「見ず知らずの人間の恋愛を、手助けするいい話」だと思って読んでいる。たとえ電車男がネタだったとしてもだ。

面白いと思うか、思わないかは人それぞれなのでかまわないが、面白くないと思ったのなら、そういうスタンスをまず表明すればいいのに、なんとなくずるい人だなと思った。

この人は、2ちゃんねるがキライなんだろう。それは別に人それぞれでかまわないが、自分よりずいぶん年上の人だろうと思ってたら、「仲正昌樹、1963年生まれ」とある。オレと一緒じゃないか。驚いた。金沢大学の法学部教授だ。何冊か本を出してるみたいなので、読んでみたくなった。
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by asano_kazuya | 2004-12-16 15:37 |