なんで日本でウルトラマンや仮面ライダーが生まれたか

日本のおたく文化というか子供向けカルチャーというかの大きな流れのひとつに、ヒーローものがある。仮面ライダーとかウルトラマンとかそういったものだ。麻野も、今はあまり関心ないが、子供の頃は大好きだった。

ある時、疑問に思った。なんで、日本でだけ、こういったヒーローものがここまで発達したんだろうか。

もちろん、アメリカにもヒーローものはある。スーパーマンとか、スパイダーマンがそうだ。しかし、タイトルの数にせよ、バラエティの豊かさにしろ、日本のとは比べられないんじゃないだろうか。

たいていのものが、アメリカで先に流行って、日本が後追いをする。アニメも、まずはディズニーがあって、手塚治虫がそれにあこがれたというのがあった。しかし、日本のヒーローものはちょっと違うように思う。若干流れがずれるが、ゴジラ、ガメラという怪獣映画の路線とヒーローがくっついてウルトラマンが生まれ、すぐに仮面ライダーが出来、というあたりで、その後の路線が決定して、やがて戦隊ものという新たな路線を生むにいたった気がする。こういう大きな流れとしてのヒーローものというのは、日本独自のものなんじゃないだろうか。

もしかしたら、麻野の知識がないだけかもしれない。それだったら話にならんのだが、とりあえず、ヒーローものの充実に関して、「日本>外国」という前提で話を進める。

で、麻野なりに出した結論を先にいう。ヒーローものが日本で発達した大きな理由。それは、「敗戦と憲法第九条の存在」だ。戦争に負けて、交戦権をなくしたことが、日本にヒーローものの爆発的な充実をもたらしたのだ。

子供のとき、アメリカの戦争映画というのはよくあるけど、日本のはあまり見たことないなあという印象があった。それも、難しいのではなく、あっけらかんとしたやつ。「インディアン悪モンやから、殺せ! ヒャッホー!」とか、「ドイツ軍、悪いから殺せ! イエー」みたいなの。日本の戦争映画というと、暗い重いのばっかりだった。「朝鮮をロシアの魔の手から守れー! ウオー!」みたいなのは、見たことない。基本的に全部反戦映画だったように思う。

で、なんでそうなるかというと、前の戦争で敗けたと。それも、ギリギリに苦労して負けた。もう戦争はこりごりだと。「戦争=悪」だと身にしみた。国民の総意として、交戦権もいらんと。だからもう、戦争に勝ってうれしい映画も作りたくない。ドンパチはもういい。スッとするより、イヤな思い出しかないから。むしろ、戦争の悲惨さを後の世代につたえていきたい……というのが能天気系戦争映画が作られなくなってきた理由じゃなかろうか。

アメリカも、ベトナム戦争に負けてからは、能天気戦争映画が減って、反戦色の強い映画も作るようになった。多かれ少なかれ、敗戦はそういう影響をおよぼすんだと思う。で、日本の場合、やられ方がコテンパンだったので、それがいまだに続いてる。

とはいえ、人間は戦争映画っぽいものは、本音では見たい。好きだ。悪者を退治したい。正義(自分たち)が、悪を叩き潰すところを見て、すーっとしたいのだ。でも、もうどっかの国を悪者にするのは、できない。となると、悪を作るしかない。それが、宇宙怪獣だったり、ショッカーだったのではないだろうか。

機関銃で人を撃つシーンはテレビで流せない。憲法第九条の国としては。でも、相手が戦闘員だったら、できる。人のコトバを話さない、「イー! イー!」と叫んでるだけの、死ぬときは爆発したり溶けたりするような化けもんなら、いくら殺したってかまわない。怪獣もそうだ。バルタン星人なんて、セミの化けモンじゃないか。いてまえ! いてまえ! というわけだ。

もちろん、ジャミラみたいな怪獣もいるので、個々の例に関しては例外はある。しかし、全体を大きく見渡したとき、日本でなんでこんなにヒーローもの。怪獣ものが発達したかの理由に、「敗戦と憲法第九条」は大きな理由になってると思うんですが、いかがでしょう?
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by asano_kazuya | 2005-10-07 14:54 | 身辺雑記