人生観? そんなたいそうなもんじゃない。生活観の方がいいか。

先日の朝日新聞より、東京キッドブラザーズの劇作家・演出家の東由多加の言葉。

「死ぬことは恐ろしくも悲しくもない。恐ろしいのは、死んでしまったような生き方だ。」

これを見て、世間には色んな人がいるものだと、つくづく思った。麻野は、まったく逆だ。死ぬことは恐ろしいし悲しい。そして、死んでしまったような生き方にはむしろ羨望を憶える。

死んでしまったような生き方というのが、寝たきりとか認知障害とか、あるいは激痛や極度の疲れ、病気などで、毎日がつらいというのを意味するのなら、そんな生き方はたしかに御免こうむりたい。しかし、日々ダラダラと、非生産的だが退屈もしてないというような生き方をさすのなら、それこそが理想的な人生だ。

ある人生を形容して、「熱く駆け抜ける」というような言葉がある。そんな人生、考えただけでため息がでる。しんどい。できたら、「ぬるい散歩」のような人生を送りたい。「俺の生き様」とかいうような、熱い鉄の棒を振り回すような毎日はゴメンだ。「日々の営み」というような淡々とした生活がいい。「生き急ぐ」のではなく、「死に遅れる」というのがいい。

ちなみに、東由多加という方は、すでに亡くなられている。おそらく、生き生きとした人生を送られ、後悔のない死に方をされたのだろう。それはそれでうらやましい。どんな生き方を望むかは人それぞれだ。麻野も、死ぬときに恐れや悲しみがなく、かつ悔いのない気持ちで安らかに死にたい。

最近、もっとも欲しいのは安楽死の薬だが、このことを書くと話の主旨がずれるので、それはまた別の機会に書く。
[PR]
by asano_kazuya | 2006-05-13 15:08 | 身辺雑記