思考の制御不能性について

最近、脳関連の本を仕事で読むことがあって、それで、いろいろ得心したことがあるのだが、その中でも、「ほほう」と思ったのが、「思考のほとんどは意識的になされるものではない」ということだった。

これは、悩み事や心配事を例にするとわかりやすい。「よし、心配しよう!」と意識して心配する人はいない。気がつくと、「あいつ遅いけど事故でもあったのか」とか、勝手に心配してる。そして、同様のことがそういったネガティブなことだけでなく、ニュートラルなことやポジティブなことでも成立する。今、こうやって書いている文章も、意識的に思考してるのではなく、心に浮かんだことを、ただ文章にしているだけだ。脳の一部分が勝手に動いていて、あとはそれの奴隷だ。

意思なんてものは、たいした主人公じゃない。たとえばこの文章書いてる状態で、意思にできることは、書くかやめるかの判断をする程度だ。書くかやめるかは決められるが、書く内容を決めたり、書く内容を思い浮かべるのは、オレの意思にはできない。

中国のことわざに、「馬を水場に連れて行くことはできるが、飲ませることはできない」というのがある。これと一緒だ。「さあ、仕事をしよう」と机に座ることはできる。なるべくそっちを考えるようにもっていくこともできる。しかし、思考は、自分からははじめようがない。頭が勝手に回転するのを待つしかできない。

新しく慣れない概念を学習するときは、相当意識的に集中して思考しないと、頭に入らない。たとえば中学のとき、イオンについて勉強したときがそうだった。なかなか理解できなくて、きつかった覚えがある。そういった学習なら、まだ、そういう「オレの思考よ。こっちこいよ!」ができる。しかし、何かを創造するときは、どうしていいかわからない。とにかく、頭が勝手に動き出すのを待つしかない。

これは、怖い。予定が立たないのだ。仕事が予定通り終わるかどうか、さっぱりわからない。しかし、怖いがしょうがない。でないときはでないんだ。なにも。

でもって、机の前にいても頭が動くとは限らないので、歩き回る。今日も家から渋谷まで歩いた。しかし、歩きながら、「オマエさぼってるんじゃないか」と、余計な罪悪感がオレをさいなむ。つらい。でも、どうしたってダメなんだ。

幸い、今まで、それが理由で予定を大幅に遅れるようなことにはなっていない。しかし、いつか、頭がまったく動かなくなって、何もできなくなる日が来るのではないかと、おびえている。
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by asano_kazuya | 2006-11-29 23:56 | 身辺雑記