必殺仕置人の中村主水の「主水」は、なぜ「もんど」と読むのか。

a0016446_18235643.jpg古代は、日本では器に盛った水を「もひ」といい、これを貴人に差し上げる、水を主(つかさ)どる人を「もひとり」と呼んだ。これが後世なまって、「もんど」となり、「主水」の訓となった。(本居宣長『古事記伝』古事記伝十七之巻、神代十五之巻「綿津見ノ宮の段」

ということらしい。

なんで、こんなことを急に書いたかというと、最近、読んだ「新しい神の国」という本で、著者の古田博司が、「最近の学生は調べ物というと、なんでもググろうとする。しかし、『主水』をなぜ『もんど』と呼ぶかというような高度な問題はネットではわからない」という主旨のことを書いていた(P139)からだ。

だったら、ここに書いておけば、ネットでもわかるようになるだろうと思って、書いたのだ。

この著者、「本当の知識の宝庫は図書館で、ネットでは広く浅い知識しか得られない」といってるが、古事記伝がネットで検索できるようになれば解決する話だし、是非そうなってほしい。本当の勉強は図書館で、ということがいいたいのだとしたら、なんだかずれた意見だ。世界では、アレキサンドリアなどの主要図書館をネットでつなごうという話が出てきてるのに。

と、批判的なことをいってますが、この本、おもしろいです。クセはありますが。レビュー書いたんで、よかったらどうぞ。
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by asano_kazuya | 2007-11-05 15:06 |