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「思想なんかいらない生活」 by 勢古浩爾 (ちくま新書)

 感想を少々。


 「柄谷行人のいってることの意味がわからない」、「竹田青嗣のいってることは、意味はわかるが、そんなに重要か?」、「ラカンがどうした!」などなど、難解な文章を書く思想家を、「生活するのに何の意味もない」と切り捨てて行ってる本。著者は、七面倒くさい思想なんぞ、役に立たないという。

 読み物としてはおもしろいが、疑念もわく。気持ちはわかるが筋違いな気もする。

 ある思想家が三島由紀夫のことについて論じる。「仮面の告白で、三島由紀夫は平岡公威殺しをやっている」と。しかし著者はいう。「そんなことは自分の人生にとってどうでもいい。それがどうした」と。気持ちはわかる。確かに、麻野にとってもどうでもいい。しかし、これはもう、人それぞれとしかいいようがない。たとえば、野球の好きな人間はある試合の結果についていくらでも論じることができる。巨人の桑田の7回の裏の第2投目がどんな意味を持っているかについて、飲み屋で1時間でも講釈をぶてるファンもいる。その人にとっては、それが楽しくて仕方がないのだろう。また、それを聞いて勇気がでる人もいるだろう。しかし、興味がない人間には、ホントにどうでもいい。それと同じだと思う。

 思想と野球が違うのは、野球は普遍性がないが思想はあると思われていることか。そして、やっかいなことに思想の場合、意味がわかるには野球より知性がいると思われている。そのため「わからない=バカ」になり、そのことに劣等感をもってしまうような仕組みになってる。その辺が、著者の苛立ちの元なんじゃないかと思う。

 著者自身、蓮見重彦の「思想」は難しくてわからないが、彼がスポーツを論じている本に関しては絶賛している。ということは、やっぱり蓮見重彦はすごいんだろう。ものごとの見方というのは、その人のセンスが反映する。それは野球でも思想でも変わるまい。おそらく本人はどっちも分け隔てなく評論してるのではないか。ただ、片方は著者に理解できて、片方はできない。あるいはつまらない。それはもう仕方がないとしか言いようがない。

 だいたい、自分にピッタリの思想というのは、自分で考えるしかないのではないか。人が言ってる事を聞いて、「それは違う」とか「黙ってろ」というより、「自分はこう」という方が早い。この本でも、著者が他人の悪口を書いてる部分は、面白い反面、いやな気分もする。それより、本人が賞賛する「ホッファーの生き方」について自説を述べている箇所の方がよほど魅力的だ。読んでて感動する。

 ただし、「みんな忙しくて、そんなに重要なこと(民主主義、従軍慰安婦、税制、世界平和、シニフィアン、リゾーム、ナショナリズムなどなど)ばかり考えてるヒマなんかない」という著者の意見にはほぼ全面的に賛成する。ただ、その論を推し進めると、民衆は愚民なので貴族による統治がよいのだという結論になりそうな気もするので、難しいところだけど。
by asano_kazuya | 2004-07-21 08:08 |