時代の転換期

二十の頃、本屋に行くと、「激動の時代を生きる」とか、「今は、経済的、歴史的な大転換期にある」といった内容の本がゴロゴロしていた。
世界的な視野だと「産業革命以来の転換期」であり、日本的な視野だと「明治維新以来の未曾有の危機」をどう生きていくかを説いた本たちだ。

その頃の麻野は、「へえ、そうなんだ。今は大変な時代なんだ」と素直に思っていた。
1980年代の話だ。

そういう本や論調は今もある。
たとえば、今日の日経ビジネスの、ある記事はこういう書き出しだ。

「現在、世界は大きな時代の転換期を迎えています。1年前、あんなに自信にあふれ輝いていたトヨタ自動車が、大きな構造変化の中で3度の業績下方修正を重ね、苦しみもがいている姿はまさに象徴的です。
 資源、エネルギー、BRICS、イスラム教、オバマ大統領、高齢化、温暖化、金融危機、世界不況、あらゆる事が物凄いスピードで動いています。例えば、5年後の自動車産業は、かつてレコード産業や写真産業が経験したように、大きく変わっていることでしょう。」

別に、この記事にいちゃもんをつける気はない。本当にその通りだと思う。

ただ、ハタチの頃から、ずっと気になっているのだが、「今が時代の転換期」というのは、常套句なのだ。




逆は聞いたことがない。
「今、時代の凪です」とか「この10年、世界は代わり映えしません」とか「世界は今日も昨日も同じです」とか。
おそらく、そんな文句だと読者の興味を惹起しないのだろう。
だから、「変化」ばかりが取りざたされる。


あえていうと、「失われた10年」という言い方はある。1990年代の日本だ。
しかし、これも、一種の異常事態としてとらえられている。
「戦後の日本で、こんな事態はなかった。こんなことが起きること自体が、日本の変化を現している」という含みがある。

つまり、いついかなるときでも、「今は、変化の時」なのだ。
麻野は、それがどうもひっかかっていた。

なんで、そうなるの?

思うにこれは、人がこどもから大人になるからというのがすべての原因ではないか。

わかりにくいか。

つまり、子供時代は、誰でもあまり変化を感じない。
とくに、小学生時代は長い。長すぎる。
きのうと同じ退屈な日常が永遠に続くような気がする。

ところが大人になると、やたら忙しい。
技術の発展があるので、おぼえることが次から次へとでてくる。
VHSの使い方を覚えたかと思うと、DVD,HDDといった具合だ。
麻野の実感としても、永遠に昭和が続いて、自民党が与党だと思ってたら、色々あった。

つまり、「子供の時は1年が長く感じられたのに、大人になったらあっというま」というのと、「今こそ、時代の転換期」というのは、ほとんど同じようなもんなのではないか。

もっといえば、「最近の若い者はダメだ」ということばとも同じといえよう。
古代エジプトの古文書からも、このコトバがでてきたという。
つまり、何千年も前から、若い者はダメ扱いされてきたという話だ。
ちなみに。どうもこの話は作り話らしいが、かまわん。あってもおかしくないと思うから。

結論。
いつでも、時代の変わり目だよ。
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by asano_kazuya | 2009-08-10 10:25 | 身辺雑記