「かゆみ」という選択 2

蚊はなぜ、「かゆみ」という選択をしたのかについてずっと考えていて、30才くらいで、もっと根本的なことに気づいた。

それは、蚊はなんのために人を不快にさせるのか、ということだ。

「かゆみ」というのは「痛み」ほどには不快ではない。痛くて泣く人はいても、かゆいといって泣き喚く人はあまり聞いたことがない。ちなみに、全身がかゆいといって救急車と呼んだ男を知っている。もっともそれはアロエにかぶれたのであって、蚊のせいではないが。

しかし、「痛み」ほどひどくはなくとも、不快は不快だ。かきむしると気持ちいいいというのは、とりあえず置いておく。

ところが、蚊が人を不快にする必然性がないのだ。

蜂が刺すと痛いが、この「痛い」という「イヤさ」はわかりやすい。「俺にかかわると痛い目に合うぞ。だからかまうな」という意思表示だ。自分が他の生物から危害を受けないようにするため毒を持つというのは、進化する方向性として、明快なものを感じる。

しかし、蚊は違う。蚊は人を避けない。避けてたら餓死してしまう。
蚊は、人に近寄らないといけないのだ。人に受け入れてもらう必要がある。
だから、蚊の本来の目的からすると、不快など与えない方がいいのだ。

もし蚊にさされても痛くもかゆくもなければ、人は今ほどは気にしないだろう。もっといえば、蚊にさされて快感が走れば、人は積極的に蚊に血を与えるかもしれない。

「まじいなあ。医者から止められてるんだけど、ついつい、蚊にかましちゃうんだよね」とかいった、まるでタバコか酒のようなものになってたかもしれない。そうなった方が、蚊としては繁栄しやすいのだ。

なんで蚊は、「かゆみ」という不快をあたえる物質を分泌するように進化したのか?

「痛み」ではなく「かゆみ」を選択した。そのことを謎にする以前に、「不快」を与えるのはなぜか。それを考えないといけないのだ!

30歳すぎてからの私は、そう思い始めるようになったのである。

(続く)
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by asano_kazuya | 2004-09-02 13:48 | 身辺雑記