映画『猟奇的な彼女』を観た。
以前、ある対談で誰かが、「なぜ、日本では『猟奇的な彼女』のような映画が生まれないのか」といっていて、それ以来、気になっていたのだが、なんとなく見ないで来てしまっていた。しかし、ついに今日、観た。

観て、30分。
「これ、ハルヒじゃないか!」

エキセントリックな女子が、男子を振り回す構図が、『涼宮ハルヒの憂鬱』とまるっきり同じだ。
どう考えても、どっちかの作者が相手の作品を見て、影響うけて作ったとしか思えない。

麻野は、ライトノベルは、『ハルヒ』しか読んだことがなくて、かつ、大好きだ。恋愛小説は、仕事で何冊も読んだが、『ハルヒ』に対しては、好き好き3本指に入る愛を感じている。

さっそく、ぐぐったら、『猟奇』原作が1999年。『ハルヒ』2003年。ハルヒの方が後だ。
そうか。『ハルヒ』は、この映画の影響を受けてたのかと思い、他にも気づいている人はいるだろうとおもって、
再度ググったら、やはり出てきた。

これ。


『猟奇』の主人公は、キョヌ。『ハルヒ』の主人公はキョン。
おそらく、作者の谷川流は、影響受けたことをそれとなく表明したくてこんな名前にしたのだろう。

リンク先のコメントには、「韓国人がまた起源主張してる」というのもあるが、これはどう見ても、起源韓国やろう。まあ、起源なんてどうでもいいが。

話戻して、『猟奇的な彼女』は、最後まで見て、とてもおもしろい映画だった。韓国映画はだいたいおもしろいが、これもシナリオ構成しっかりしてるし、サービス精神旺盛だし、おすすめできる映画だった。
後半から、当たり前だが、ハルヒとはかなり違う趣になってくる。
最終的には、全然関係ない作品だ。そして、とてもいい。

また、話を猟奇とハルヒの関係にもどす。
ある作品があって、その中のあるポイントに触発されて、それを別の人間が、別のとても素晴らしい作品を作る。これは本当にいいことだと思う。
『猟奇』と『ハルヒ』は、それが起きたある種の奇跡だと思う。

ハルヒファンの中には、オリジナルが他にあると言われてイヤになるかもしれないが、だいたいたいていのものがそうなので、それはいいんじゃないだろうか。

「影響受けた証拠あるのか」とか言われたら、「まったくない」としかいいようがないが、両者を見て、影響受けてないと思う人間がいたら、麻野はその人の感覚は信用しないわ。というか、2001年時点で、この映画見て、クリエーターが影響受けなかったら、それはおかしい。このキャラやら構図は、かなりインパクトある。

いやあ、いいもん観た。
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# by asano_kazuya | 2015-10-07 01:02 |
(※このブログ、2011年12月9日に書きましたが、その後、複数の方から得た情報から、不適切な部分があると判断したので、翌日、書き換えました。書き換えたのは、「現在、VR非搭載DVD機がほとんどである」という点です。地デジ対応機はすべて対応しているので、いいすぎだと思い、改めました。)


地デジ対応のHDD/BD買ったけど、買い置きしていたDVDがたくさん余ってる人いませんか? もったいないので地デジ番組を焼こうと思っている人や、それを友達の家に持って行って観ようと思っている人もいるかもしれません。

麻野も、地デジでいい番組があったので、「これ、学校の授業で使おう。よし、DVDあまってるから焼くぞ」と思ったのですが、意外とトラップがありました。

「そんなの、知ってる!」という方も大勢いらっしゃるかもしれません。そういう方は読むだけムダなので、無視してください。しかし、「え、どういうこと?」という方は、良かったら参考にしてください。時間とお金を節約できるかもしれません。

まず、

1:地デジをDVDにダビングするためには、CPRM対応のDVDメデイアが必要。

地デジの番組には、コピーが10回までしかできないという制限があります。CPRM非対応だと、そういった制限をフォローしてないので、ダビングができません。現在、店頭では、「対応」・「非対応」両方のDVDメディアを売っていますが、むかーしに買ったナマDVDだと非対応の可能性が高いでしょう。

2:地デジを録画するときは、VR方式になる。それに対応していないDVD機も多い。

地デジをダビングするとVRという形式になります。これは、地デジ対応のDVD機であれば対応していますが、アナログ時代のDVDマシンは非対応です。PCに搭載されているDVDプレイヤーも、少し古いと同様でしょう。麻野が教えてる学校の再生機も非対応でした。

BD(ブルーレイ・ディスク)は、上記に関してはクリアしています。なので、今後地デジ対応BD機が増えてきたら、BDで焼こうとも、DVD(CPRM対応)で焼こうとも、再生のことを機にしなくていいようになると思います。

ただ、過渡期である現状だと、

・古いDVD(CPRM非対応)だと、そもそも焼けない。
・CPRM対応で焼いても、よそで再生できないかもしれない。

ということになります。


いずれ、世間の多くが地デジ対応BD機になるでしょう。今から焼いて置いておくなら、それを見越して、CPRM対応DVDを買うより、BDの方が妥当かなと思います。もちろん、すでに持ってる場合や、とても安く変える場合などは別ですが。


現状、DVDで焼くメリットがあるとしたら、以下の場合だけでしょう。

・CPRM対応なまDVDメディアが余ってる(あるいは、安く手に入る)
・再生するつもりのプレイヤーがVR対応(焼いた機械で再生することも含む)



ちなみに、VRに対応している機械同士でも相性があり、DVDを再生できないこともたまにあるようです。BDの相性に関しては、あるのかどうか未確認です。
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# by asano_kazuya | 2011-12-09 14:54 | 身辺雑記
a0016446_20473827.jpg日経ビジネスオンラインで、『街場のメディア論』のレビュー書きました。

正直、この本の内容は多岐にわたるので、レビューで紹介できたのは、その一部分にしかすぎません。とてもいい本なので、ぜひ、多くの人に読んでもらいたい。
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# by asano_kazuya | 2010-11-24 20:49 |
目の前に、鉄片がある。
その鉄片は、自分の腹から10センチほど離れた場所に横たわっている。

問題ない。いっさい問題のない光景だ。

しかし、その鉄片が30センチくらい自分の腹の方にあったらどうだろう。

物理的には、たまたまX軸上に少しずれただけのことだ。
Y軸にもZ軸にも関係なく、ただX軸上をスライドしてきただけだ。

世界にとって、なんの影響もない、物質の移動。
物理的には、この移動にはほとんど意味が無い。
垂直移動なら、位置エネルギーの変化が著しいが、水平方向の移動には労力は少ない。

というか、移動を考えなくてもいい。

たまたまその鉄片が、台所の片隅を(0,0,0)と仮定して、(30,30,100)センチの位置にあったとしよう。
麻野はその時、(40,30,100)センチの位置にいた。

簡単にいうと、麻野は台所の流しにもたれてて、すぐ横には包丁がある。
それだけのことだ。

ここで、包丁が30センチずれて存在することに、物理的な差異はほとんどない。
麻野がいないところで、神様が、そっと包丁の位置を変えたとしても、何の問題もない。

あ、そうでもないか。包丁が床に落下するか。これは位置エネルギーが大きく変わる。

しかし、流し上で、30センチ横にスライドしたならどうだろう。
別になんの問題もない。
エネルギーは変わらないし、だれも気づかない。

しかし、麻野が流しにもたれているときに、神様がそっと鉄片の位置を変えたら、麻野は死ぬ。

これは、世の中に少しは影響を与える。

まず、家族はえらいことになる。
友人もイヤな気分になる。
葬式屋が活動をはじめる。
区役所の書類が書き換えられる。
今後、麻野が作ったかもしれないゲームや本は世にでなくなる。
つーか、まず、オレが痛くてかなわない。
死ぬのいやだし。

麻野がもたれてないときに、30センチ鉄片が動いたとしても、人のいない森で木が倒れたくらいの影響しかないのに、なぜ、麻野がもたれていたら、なんだか大変なことになるのか。
たかだか鉄片の位置の変化が、なぜこんな結果となってしまうのか。

このことが、もう、ずーっと不思議で不思議でしかたない。
どうしても、腑に落ちないのだ。
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# by asano_kazuya | 2010-11-16 22:41 | 身辺雑記
a0016446_1837899.jpgTシャツ作りました。3000円で売ります。

高くてすみません。まだ大量生産できないんで、単価が高くなって。
注文生産なので、作るのにも少し時間かかります。

それでもほしいという方は、
proj.dolittle@gmail.com
まで連絡ください。


あさって14日の電書フリマでも、数枚ですが売る予定です。
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# by asano_kazuya | 2010-11-12 18:38 |
11月14日に電書フリマが開催されます。

ここに、パブーという電子書籍販売サイトがリアル店を出店し、麻野の書いた『ドリトル先生物語』も出品されます。
もし、行かれる方がいたら、のぞいてみてください。麻野も顔だす予定です。
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# by asano_kazuya | 2010-11-09 22:37 |
イベントします。
ゲストに、ミステリー作家の我孫子武丸さん(『かまいたちの夜』の原作者)もきます。

是非、見にきてください!

【タイトル】「夜のゲーム大学5~Play or DIE ゲームの未来と再生」

【場所】阿佐ヶ谷ロフトA

【日時】2010年11月7日(日曜日)OPEN18:00/START19:00

【料金】前売¥1,500/当日¥1,800(共に飲食代別)
前売チケットはローソンチケット【L:33265】、ウェブ予約にて受付開始!
(いままですべてソールドアウトだったので予約しておいたほうが吉!)

【内容】
大好評「夜のゲーム大学」第五弾。ゲームの再生or死を賭けて、現役のゲーム作家がエンタテインメントな授業を披露。授業っても、研究発表みたいな退屈な授業はやらない。授業そのものがゲームであり、エンタテインメントショーだ!
飯田和敏が処女作『アクアノートの休日』を語る。麻野一哉が出世作『かまいたちの夜』を語る(ゲスト、ミステリー作家の我孫子武丸さんだ!)。米光一成が遺作を語る。処女作、出世作、遺作とゲーム作家の人生を横断する試み!

【出演】
麻野一哉(ゲーム開発者/慶応大学日本語日本文化センター非常勤講師)
代表作『銃声とダイアモンド』『トルネコの大冒険』『かまいたちの夜』等

飯田和敏(ゲーム作家/デジタルハリウッド大学教授)
代表作『ディシプリン*帝国の誕生』『アクアノートの休日』『巨人のドシン』等

米光一成 (ゲーム作家/立命館大学映像学部教授)
代表作『ぷよぷよ』『BAROQUE』『キングオブワンズ』等。11/7はネイキッドロフトで電書フリマZ開催

三人の共著に『ベストセラー本ゲーム化会議』(原書房)『日本文学ふいんき語り』(双葉社)『スピンドル式 鍛えない脳』(しょういん)
『恋愛小説ふいんき語り』(ポプラ社)がある。

【ゲスト】
我孫子武丸(ミステリー作家) 『8の殺人』『探偵映画』『少年たちの四季』『さよならのためだけに』など幅広い作風で活躍。『かまいたちの夜』シナリオ担当、『かまいたちの夜2』シナリオ監修&サブシナリオ。
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# by asano_kazuya | 2010-10-22 11:00 | ゲーム
a0016446_12275491.jpg『ドリトル先生物語』を訳し直して、パブーというサイトにアップしました。
今週末までは無料なので、是非、ダウンロードして読んでみてください。

原作は、イギリスの
Hugh Lofting 作の『The Story of Doctor Dolittle』です。

日本では、作家の井伏鱒二の訳の『ドリトル先生アフリカゆき』として知られています。

動物のことばがわかるドリトル先生が、アフリカに蔓延した病気から、おおぜいのサルを救うため、旅にでる物語です。

難破あり、監禁あり、海賊あり。
個性的な動物がたくさんでてくる、楽しい物語です。


これから、さし絵もふえる予定です。
今、ダウンロードしていただければ、さし絵がふえた時点でまた無料でダウンロードできるので、お得です。
ぜひ、今、ダウンロードしてください。
(まだ、このサイトの仕組みを完全には理解してないので、もしかしたら違うかもしれませんが、ま、そのときは無料ということで勘弁してください。)
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# by asano_kazuya | 2010-10-20 12:28 |
第5回「夜のゲーム大学」のイベントを阿佐ヶ谷ロフトでやります。


今回は、なんと! ゲーム『かまいたちの夜』の原作者、我孫子武丸さん(ミステリー作家)がゲスト出演してくれます。 わしはこのゲームのディレクターでした。


この前、ツイッター見てたら我孫子さんがフォローしてくれてて、「おひさです」と書き込んだら、「今、東京きている。飲みますか」という話になって、イベントのこといったら、「でましょう」となった。

ツイッターすげー! 瓢箪からコマだし、話はえー。

わし、ヨネミツ、イイダの三人で、それぞれ「ビギニング・オブ・かまいたち」、「遺作」、「ビギニング・オブ・アクアノートの休日」の話をすることになりそうだけど、まだ流動的。

麻野は多分、「かま」作った時の話を我孫子さんと二人でしまくると思います。

たんなる、なつかし話ともいえるけど、新しいなにかが生まれるかもしれない。

今回は、いい意味で麻野は肩の力ぬけてるし、前向きなので、是非、見に来てください。

詳細は、適当にぐぐってください。近づいたら、もう少しちゃんと書きます。
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# by asano_kazuya | 2010-10-18 20:07 | ゲーム
日経オンラインのコラムを読んだ。とても同感する。

以下、同感した部分を引用する。

ついでに申せば、世の経済通や専門家を、私はあまり信用していない。
というよりも、彼らについて、どう判断して良いのやら、いつもわからなくなるのだ。
わからなくなる理由は様々だ。
「この人は本当にわかっているのだろうか」というふうに、能力や見識を疑う場合もあるし、「本気で言っているのか?」と、真意ないしは誠実を疑う場合もある。いずれにせよ、彼らの話を私は割り引いて聞く。他の分野の専門家が自分の分野について語る時には、一定の敬意を持って耳を傾ける。でも、経済は別。あまりにも混乱しているから。

たとえば、経済の専門家が何人か集まって議論をする。
と、同じひとつの問題について、まったく異なった見解が論者の数だけ並ぶことになる。
ある学者は財政出動が急務だと言い、別の評論家は赤字国債に頼るべきではないと言う。さらに別の元経済官僚は日本経済の底堅さを強調し、ゲストのマダムは雇用の確保こそが何よりの緊急課題だと言う。

彼らは、それぞれにもっともなことを言っているように見える。
でも、主張はまるでバラバラだ。というよりも、全員の話をまとめると完全に支離滅裂な施策になる。
ということはつまり、集まった専門家のうちの、一人を除く全員か、でなければ全員が的はずれなことを言っていることになる。なんたるカオス。


麻野も、ここのところ経済の専門家の本を読んでいる。
しかし、読めば読むほどわからなくなる。

上記コラムの執筆者の小田島氏も「問題なのは、正式に勉強したわけでもなく、必死に考えたことさえない分野について、思いつきで安易に言及する態度だ。これはいましめねばならない。そう思うから、私は当件について、経済通っぽい発言を控えている次第だ。」と言っているので、麻野なんかが経済についてはなにも書かないほうがいいのだろうが、どうせこんなブログ、読んでる人も少ない。だから、備忘録の一種として書いておく。

昨今の経済状況において焦点はいくつかあるようだ。

・財政政策、主に公共投資の是非
・金融政策の是非
・インフレターゲットの是非
・円高の是非
・民主党のばらまき政策の是非

他にもあるが、おおまかにはこんなもんか。
それぞれに、「やるべき」「いや、意味ない」「むしろ害」という意見があって、さっぱりわからない。

たとえば、公共投資。
これだけ景気が冷えてるなら、国が景気の火付け役として仕事をつくる必要がある。雇用も増えるし、金が回り始めるというのが、公共投資推進派の意見だ。

それに対して、「いや、公共投資だけやっても意味がない。金融緩和もセットにしないといけない」という人たちがいる。
また、「公共投資はムダと利権の温床になる」と毛嫌いする人もいる。それに対して、推進派は、「ムダとか利権とか言ってる場合じゃない。まずは景気をよくしてからだ」と反論する。すると、「そもそも、政府がお金をだす対象を決めるのがおかしい。それでは社会主義だ」との反論があがる。「そもそも乗数効果なんかないに等しいから、偏った業界に金ばらまいてるのと同じだ」とも。

そろそろ、なんだかわからなくなる。

インフレの話もそうだ。デフレはあまり好ましくないというところまでは、大方一致しているが、インフレにしようという派と、意図的にインフレにはできないという派がいる。これは前例がない試みだそうで評論家も二分されている。素人の麻野には判断しようがない。

そう。インフレターゲットなんかもそうだが、「是非(いいかわるいか)」と、「可否(できるかできないか)」は別の話だ。たとえば、公共投資ならやろうと思えばできるだろう。賛否両論あったとしても。

しかし、円高はどうだろう。

たとえ円高が好ましくないと言っても、円高をとめられるものか。
もちろん、ドルを買って円を売るなどの為替介入はできなくはないが、一国だけでやっても焼け石に水だ。
欧米や中国の協力を求める必要があるが、今のところとても否定的だ。

そもそも、円高といってはいるが、実質的にはまだ円安だという学者も多い。もっと円高が進んでもおかしくないというのだ。もし、これが本当なら、円高はもっと進むことになる。で、これに関しては、麻野もなんだかそんな気がする。素人なんで、なんとなくでしかないのだが、他の国に比べたら、まだまだ国力があるから、円高が進みそうに思えるのだ。

まあ、なんでもそうだが、不自然な状態は長い目で見ると是正される。となると、円高はまだ進むだろう。そうなると、輸入品は安くなるから、またデフレになるだろう。

円安希望とか、インフレになってほしいとか。気持ちと裏腹に、実際は、どんどん逆になりそうだ。

そうなると、産業構造の変換しかないのだろうなあ。もっと内需型になって、もっとサービス業がふえてという。しかし、これが大変だ。みんな、仕事変えなくちゃいけない。倒産する会社はまだまだ増えるだろう。



麻野が生まれてから、「今が日本の転換期」というコトバは、もう何度も何度も何度も聞いてきた。「第二の幕末」などという言い方なんかもそうだ。新聞もテレビも本も、評論家も、いつでもそんなことを言っていたので、ずーっと本気にしてなかった。

しかし、ついにここに来て、それらしきものが起きているんじゃないかという気がしてきた。
もちろん、国難としては、戦争に負けたときに比べたらたいしたことないだろう。あっちの方が、どう考えても壊滅的だ。

しかし、産業構造をおもいきり変えないと生き残れないという意味では、ついに「第二の幕末」になってきたのかもしれない。今まであまりそういうことを思ったことのない俺も、だんだん思いかけてきた。

単に、年取ってきたから、ものごとを受け止める柔軟性がなくなってきただけかもしれないが。
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# by asano_kazuya | 2010-08-27 15:04 | 身辺雑記