カテゴリ:身辺雑記( 126 )

ブログの存在意義ってなんだろうか。

1:日記
2:意見のぶつけあい。
3:ビジネス

評論家のブログとかだと、みなさんコメントやトラックバックで、社会問題や政治経済に関して意見をぶつけあって、 理解を深めたりしてる。これは2だしそれでその評論家の本が売れることもあるだろうから、3の意味合いもあるかもしれない。。

会社の社長や社員が、商品や会社に興味を持ってもらう、いわば業務の一環として、ブログを書いていることもある。これはもう、1の体裁をとった3だろう。

「麻野ブログ」はどうだろう。意見のぶつかりあいなどはほとんどないし、「すべては表面的な理解」でとどめるのを方針にしてるから、2ではない。エキサイトの企画があったころなら、うすーく3もあった。しかし、今はもうその企画はない。なので、ホントに純粋に1ということになる。

とかおもってたら、あるサイトの記事をみつけた。ここでリンクはりたいのだが、どうもパスワードのない人ははいれたにみたいなのでやめておく。

主旨は、「ブログのコメントでのやりとりを通じて、子供時代うまく気づけなかった母子関係の再構築を可能とする側面もある」という、主にブログの心理学的効用をうたったものだ。


なるほど。心理的効果というのは確かにある。

この記事のように、「転移」がどうとまでは思わないが、心の中のもやもやが、とりあえず文章にしたらスッキリする。言ってみれば心のウンコのタレ流しなので、読まされるほうはイヤかもしれないが、本人の精神衛生には役立ってる。

電話は、音楽を聴く道具として発明されたという。ラジオは最初、その特性から、「国や地方自治体から市民への連絡手段」として期待された。

このように、発明の目的と普及時の役割が大きく変わったものって結構ある。ブログもまだ過渡期だ。今後、思っても見なかった使われ方をするかもしれない。
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by asano_kazuya | 2006-04-29 12:24 | 身辺雑記
いつもいつもつまらないことを書いてるが、今回は、本当につまらない。時間のムダにしかならない話だ。書いておいてなんだが、読まないことを強くお勧めする。




「人生の裏街道」というフレーズがある。

ヤクザや詐欺師なんかの犯罪者が自嘲気味に言うのだ。「あっしは、人生の裏街道を歩いてきたんでござんす。お天道様に顔向けできない人生ざんした」などと。

しかし、どうにも不可解なコトバだ。麻野は、子供の頃、このフレーズを初めて聞いた時、説明しがたい居心地の悪さを覚えた。

意味としては、「裏社会を生きてきた」ということだろう。それはわかる。が、それがなんで、「人生の裏街道」という表現になるのだ? 「裏の人生街道」とか「裏街道人生」ならわかるんだけど。

麻野の疑問は伝わりにくいかもしれない。もう少し詳しく書く。

英語だと、冠詞によって、同じ単語でも、その意味合いが変わる。「a」だと、一般的なものを指し、「the」だと、ある特定のものを指す。たとえば、「a car」は、「ある車」であり、「車というものは」であり、「the car」は「その車」だ。

……もしかしたら違うかもしれない。自信ない。まあいい。何がいいたいかというと、日本語には、英語のような冠詞がないから、どっちともとれる場合があり、片方だと変に聞こえるが、もう片方だと変じゃない場合がある。で、「人生の裏街道」の場合はどうかというのを検証したいのだ。

「人生の裏街道」の「人生」は「人生一般」なのか、「ある特定の人の人生」を指すのか、どっちなのか。(「ある特定の人の人生」は「馬から落ちて落馬した」みたいな言い方だな。「ある特定の人の一生」の方が適切か。どうでもいいけど)。

英語は不得意なのでまちがってるかもしれないが、あえて書くと、

A:I walked on a 裏街道 life.
B:I walked on my 裏街道 life.

の、どっちをいいたいんだろうかという話だ。

Aの「a life」だと、「いわゆる人生には裏街道人生と表街道人生がある」ということになる。Bの「the life (my life)」だと、「あっしの人生には裏街道人生と表街道人生がある」ということになる。

しかし、後者は論理的に変だ。人生は一度きりなので、生きてきた人生と違う人生というのは、空想のなかにしかない。「あっしの人生の裏街道」という表現には、言外に「表街道」というものもあったことを示している。しかし、何度も書くが、人生というのは一度きりのものだ。本人にとっては裏も表もないはず。単に他人と比較して「オレの人生、なんだか裏っぽいぞ」と思ってるだけだが、そのときの「裏っぽい人生」の「人生」は、「a life」のほうだ。

I walked on a 裏っぽい life。

ということになり、Bではなく、Aになってしまう。

「裏の顔」というものはありうる。表向きは善人だが、人の見ていないところでは悪人というのは、ありうる。しかし、人生の表街道を歩いたり、裏街道を歩いたりというのは、意味がわからない。表を歩いてきたからこそ、裏を歩いたといえるのだが、もし、表を歩いてるなら、裏街道を歩いてきたと、理論的にはいえない。

じゃあ、前者だろうか。Aの「a life」なんだろうか。だとすると、特定ではなく、色々ある人生一般のうちの、ある生き方のことを言ってることになる。でも、そしたら、やっぱり、「人生の裏街道」という表現より、「裏街道の人生」の方がしっくりくる。

「人の一生というものに、表側の生き方、裏側の生き方というものがあるとしたら、あっしの人生は裏側でした」と。そういう意味で、「裏街道の人生でござんした」なら、喜んでうけいれよう!

うーん。たぶん、まだうまく伝わってないだろうなあ。
じゃあ、こういうのはどうだろう。ある人(ネコでもいい)が自分の人生を振り返ってこういうのだ。

「私は人生の男(オス)を生きてきた」

変でしょ?

「私は男(オス)の人生を生きてきた」

これだと、すんなり頭にはいるでしょ。(ネコだと「人生」じゃなくて「猫生」じゃないかというのはおいといて。)

ちなみに、「今、人生の春を謳歌している」とか、「人生の秋を味わっている」は全然OKだ。「人生」を「四季」にわけて、いまどこにいるかは、ありえる話なので、違和感がない。

「裏街道の人生」とか、「裏街道めいた人生」なら、納得が行く。世の中には、さまざまな人生がある。裏街道といわれる人生も、表街道といわれる人生もある。でもって、「わっしは、悪いことばっかりして、裏街道の人生でござんす」なら、すんなり頭にはいる。

でも、「人生の裏街道」といったとたんに、「わしの人生の裏街道」と聞こえて、「人生のオス」ってなに? と同様の違和感が生じるのだ。

双子がいて、「私は表街道を歩いてきた」、「あっしは裏街道専門でした」という前提があった上での、「あっしは(わしら二人の)人生の(うちの)裏街道を歩いてきました」なら、許せる。ありえる。かまわない。

でも、そんな前提のある話じゃない。あたりまえだけど。

そもそも、世の中には裏表が発生するものと、発生できないものがある。紙に裏表はあるが、球に裏表はない。あえていうと、見ているこっち側が表で、見えないのが裏だろう。「月の裏側」とかいうから。が、あくまでも便宜上のものだ。球体の裏表は確固とした識別はしにくい。個人の人生はは紙タイプではなく球体タイプ……って、これはあんまり関係ないか。

オスの人生はあるし、メスの人生もある。しかし、人生のオスや人生のメスはない。「世間の裏街道」ならあるし、「社会の裏街道」もある。「裏の人生街道」という表現なら文句ない。でも、「人生の裏街道」だけは、麻野はいまだにしっくりこないんだ。





ね、つまらなかったでしょ。読んだ人。すんません。わからなかったらイライラするだけだし、わかったとしても、だからなんなんだ、という、最悪の話でした。それに大体、麻野が勘違いしている可能性も大いにある。

しかしねえ。子供の頃って、こういう違和感を持っても、伝える能力がまったくない。微妙すぎてうまくいえない。ただ、ストレスがたまるだけ。

この年になっても、これぐらいの表現力しかないので、100人いて、何人に伝わってるかわからないけど、1人でも伝われば、すごくうれしい。大人になってよかったと思える瞬間かもしれない。
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by asano_kazuya | 2006-04-06 22:49 | 身辺雑記
麻野には、夢の常連キャラがいる。

名前はない。というか、知らない。性別は男。職業はロゴ作り。店の看板や、ウェブサイトのタイトルロゴや、あと、フォントなども作っている。

夢の中でも、直に会ったことはない。どこかの掲示板での常連さん。年齢は30才~40才くらいだと思う。書き込みから察せられる性格は、物腰が柔らかく、親切。明るくて温和な性格。悩み事や困りごとがあると、親身になって書き込んでくれる。ただし、麻野とはそれほど親しいわけではない。

やっかいなのは、この人、浮気をしているということ。奥さんがいての浮気なのか、特定の彼女がいての浮気なのかはわからない。くわしくはわからないが、誰かに、「あの人、浮気してるんだ」というのを聞かされて、麻野は知っている。本人は、麻野にそれがばれてるとは思ってない。

夢の中で、その人と接するときに、多少こまる。昔からの友人が浮気をしたというような話なら、贔屓目が生じて、悪いことしても多少甘く見られる。しかし、この人の場合は、ネット上での知り合いに過ぎず、それも日が浅い。見たところ善人のようで、事情があっての浮気かとも思うが、彼女や奥さんの気持ちを考えると、腹も立つ。

夢にこの人がでてくるときは、いつもモヤモヤした気持ちになる。そして、この人の作ったフォントというか、文字のデザインが、ぐるぐると空間を回るのだ。

この人が夢の中での主要な登場人物になることはなく、メインのテーマは別にあるのだが、時折現れては、モヤモヤ感を増幅させる。
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by asano_kazuya | 2006-03-28 12:54 | 身辺雑記
子供の頃、疑問に思ったのが、「全国」という言葉だ。

全生徒とか全員とか全社員とかと、明らかに使われ方が違う。全社員といえば、その会社の社員全員だが、全国といったとき、世界の国全部という意味じゃない。

「明日は全国的に晴れです」と天気予報がいったら、世界中のすべての国が晴れという意味ではなく、日本だけが晴れだ。だったら、「明日は全県的に晴れ」の方が正しいだろう。

世界中の国すべてという意味で使いたいときは、「全国」ではなく、あえて頭に世界をつけて、「世界全国」という。あるいは「万国」とか、「世界中、すべての国々」とかいう。

大人になって、この全国というのは、甲斐の国、播磨の国とかが集まってできた全国なのかもと予想するようになった。が、どうなんだろう。わからない。

「全世界」という表現も奇妙だ。世界がいっぱいあるわけではない。世界はひとつなのに、「全世界」と言う。「世界全体」だとすっきり意味がとおるが、あまり言わない。

いや、まてよ。「全社一丸となって頑張る」という言い方もありか。この場合は、会社がまるごと全部という意味だな。決して日本中の会社が団結するという意味じゃないよな。

だとすると、「甲斐の国とかがあつまって全国という」説もあやしいいな。でも、「全社一丸」はたんに「全社員一丸」の省略かもしれないという疑いも残る。

「全校生徒」というのは、「全社一丸」に近いか。しかし、「全校」単独だと、話の焦点になってる地域の学校全てって意味で使うよなあ。

「全日本」というのは、わりとすっきりとわかる。これは、日本各地から集められた日本の精鋭全員という印象がある。日本が何十個もあって、それをひっくるめて全日本だとは思わない。

英語ではどうなってるかと、辞書みたら、all country だと、「全国」。all countries だと、「全国々」の意味のようだ。単数形と複数形で違う。こっちは論理的にすっきりしてる。

多分、今回の話は、頭がこんがらがってる人が多いだろうな。麻野も書いてて、頭痛くなってきた。
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by asano_kazuya | 2006-03-10 22:36 | 身辺雑記
この話、前に書いたかなあ。最近、なにも覚えてないので、もしかしたら既出かもしれんが、そのときはご容赦ください。過去の文章確認するの面倒くさい。ミクシーに書いたのかな。それも憶えてない。

えー、メイド喫茶は行ったことないんですが、メイドエステとやらに行ってきました。もうだいぶ前、年末だったか正月だったかも覚えてない。

去年の夏か秋に、道を歩いてたらメイドがいて、チラシをくれた。それがメイドエステ。そのときは忙しかったので行かなかったが、そのチラシがたまたまポケットから出てきて、かつ、ヒマだったので、行ってみたわけ。

雑居ビル。エレベータで上がっていって店にはいる。メイドと普通の格好の若い女が、あわせて4人くらい、だべってた。オレがはいるやいなや、「きゃあきゃあ」という感じで騒ぎ出す。なんつーか、学校の放課後、たまたま女子だけが教室にいて、そこにはいっていったら、どういうタイミングだったか騒がれたという感じ。全然、接客って感じじゃない。

「コースの案内」ということで、いったん席につく。一人の女が、コース説明をする。だが、どうもおかしい。オレのもらったチラシと内容がずいぶんちがう。チラシによると、おためしで、30分1500円とか2000円とか安いのだ。しかし、目の前のコースは安くても4000円だ。

「あの、このチラシもらったんで来たんですけど」
麻野がそういうと、
「あ、その店はつぶれました」

( ゚Д゚) ハア?

うさんくさいだろうと予想はしてたが、いきなりか!


どうも経営者が変わったような、そうでないような。説明が要領を得ないんで、よくわからない。つーか、バイトなのかなんなのか、みんなでゴニョゴニョ相談が始まって、それでもわからない。あと、わからないといえば、これもわからない。

「前は、メイドエステでしたが、今は普通の男性用エステになったんです」

じゃあ、なんであんたメイドの格好してるんだ? メイドエステの定義ってなに?
……まあたしかに、さっきから、ご主人様とは一言もいってないけど。

気を取り直してコース内容を見ると、メニューの下のほうに大きく特記事項があった。

「当店は風俗店ではありません!」

なるほど。
そう勘違いする人もいるんだろうなあ。ある意味危険な仕事かもしれない。麻野はそう思いつつ質問した。

「ところで、各コースにそれぞれ、ノーマルとセレブという2種類あるんですが、どうちがうんですか?」
「セレブだと、より体を密着したサービスになります」

風俗かよ! おもいっきり風俗っぽいよ!

なんだか、うさんくさいの通り越してワケわからん。どうもイヤな予感がするので、帰ろうかとも思ったが、まあ、ここまで来たんだから話のネタにと受けることにした。ただし、一番安いのでいい。顔面と首筋だけなら30分4000円。これだったら、まあ、ちょっと高めのマッサージ並みだから、これにしよう。足ツボマッサージつきというのにも心惹かれるけど、チト高いから、止めておこう。(麻野にしてはめずらしい。いつもだったら、ついつい選んでしまうのだが、今回はこれで正解だった)

「かしこまりました。セレブですか?」
「ノーマルで」
「前金でお願いします」
「領収書いただけますか?」
「出せないことになってるんです」

店員、すみませんと謝るが、聞いたことないよそんな店!
どう考えてもあやしいよ。税金はらってないだろ!


ではこちらへ、とカーテンで囲まれた一角へ。ここで使い捨てのショーツにはきかえて、ショーツ一丁になれという。薄ら寒いし、恥ずかしい。だって、女もののショーツだぜ。変態やん!

ひらきなおってベッドに寝て待ってると、エステシシャンがやってきた。たしかに、この人はメイドの格好してない。じゃあ、なんであの受付はメイドなんだろう?

施術がはじまった。寒いのを気遣ってくれて、バスタオルを体にかけてれる。熱いおしぼりで顔を拭いてくれた。目のところにタオルがかけられる。何も見えない。で、エステがはじまった。エステシシャンの指が、ほおにふれる。そのまま、つーと、あごへと伝う。ほんとに、ふれるかふれないかって感じ。でまた、あごから耳元へと、つーと、伝う。

はっきりいって、頼りない。もっと、マッサージっぽくツボを刺激とかを想像してたが、単に指でなでてるだけ。それも触れるか触れないかくらいの状態で。

でもまあ、そのうち、始まるだろうと思ってたら、なんと30分間それだけ。最後に熱いおしぼりで顔を拭かれておしまい。

詐欺だ。

まちがいなく詐欺だ。

じつは、麻野は、男のわりにはエステが何か知っている。海外旅行にいったときに受けたことがあるし、国内でも一度だけだけど、比較的高級なエステにいったことがある。マッサージよりはゆるいけど、ちゃんとリンパをほぐすとか、オイルをつかうとかで、指の圧がある。たいていは気持ちよくて眠くなる。そんな体験がある。だから、ここが詐欺だとわかるのだ。きっと、このエステシシャン、免許もってないにちがいない。

領収書なくても、メイドの格好してなくても、接客無茶苦茶でも、施術だけはまともならいいがと思ったが、徹頭徹尾ひどい。刺激的なのはおしぼりだけだった。

でも、驚いたことに、リピーターいるみたい。麻野が「指先つー」攻撃を受けてる間に、隣のブース(っていうのかな?)に、次の客が来た。その客の話ぶりだと、どうも前に来たことがあるようなのだ。おそらくエステというものがどんなものかわかってないから、来るんだろうなあ。

困ったのが、髪型だった。ほとんど意味ないのに、タオルでガッチガチに巻かれていたから、とんでもないクセがついている。おしぼり三本くらいもらって直したが、直りきらない。そういえば、この頭もそうだが、ショーツ姿にもなんの意味もなかったなあ。

薄ら寒くて、変態的な格好で顔の表面をなでられ、変な頭になって4000円。釈然としない思いで店を出た。エレベーターが来るまでメイドがつきあってくれるのは、キャバクラと同じサービスか。しかし、エレベーターが来たと思ったら、なんかの誤作動で行ってしまった。雑居ビルのせまいエレベーターホールで、ものすごく間の悪い2分間。

「また来てくださいね」
「そうですねえ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「今度くるときは、帽子かぶってきますよ」
「そのほうがいいかもしれませんね」

やっとエレベーターが来た。逃げるように乗り込む。ほんとなら、この後、本屋にでも行こうと思ってたんだが、この頭ではカッコ悪すぎる。帽子買うのも、それはそれで体裁悪いし、まっすぐ家に帰った。あー、おもしろかった。
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by asano_kazuya | 2006-03-03 13:50 | 身辺雑記
このブログは、oyaくんを主な読者と想定の上でかいてます。なので、他の人には意味のわからないことを書くこともありますが、ご容赦ください。特に今回は、oyaくんしか読者を想定してません。すみません。




この前、モニターがぶっ壊れたので、秋葉に新しいのを買いに行った。今までは17インチだったが、店の人のススメで、20インチを買った。無名のメーカーだが、安いし安定してるとのこと。

家に持って帰ると、アナログだと映るが、デジタルだと映らない。仕事に支障はないが、なんかくやしい。

メーカーに問い合わせるが、カタコトのお姉さんが出てきて、代理店にかけなおしてくれという。で、そこで聞くと、でてきた男は、話にならなかった。物腰は丁寧だが、情報がまったくない。相性の問題があるので、どのグラボならOKとかわかるかと聞いても、「私、わからないんです」としかいわない。あとは謝るだけ。そのうち、「買った店で聞いてくれ」とまでいわれ、麻野、2分ほど切れる。

しょうがないので、店に電話。「ケーブルにデュアルとシングルがあるので、それかもしれない。とにかく、持ってきてくれ」とのこと。すぐには無理なので、後日行くと言って、電話を切る。

そのままだと重いし、できたらパソコンを持っていったら、相性もわかるかと思い、知人に車を借りる。1時間かけてドライブ。駐車場が見つからず、30分うろつく。店にモニタを持っていくと、映る。シングルでもデュアルでも映る。「こりゃあ、相性かなあ」ということになる。ついでなので、もってきたパソコンを、同じ製品の他ので試させてくれと頼むが、断られる。まあ、それはしゃあないなあ。でも、だったら、車でなくても電車でもなんとかなったな、と思いつつ、車にもどる。

まだ、時間があるので、グラフィックボードを探す。しかし、単にブラブラ見ても、わかるわけがない。情報仕入れてからこよう、と思い直す。たまたまジャンク屋で、DVDドライバーが売ってたので500円で買う。麻野はCDドライバーしかもってなかったのだ。まあ、500円ならダメもと。宝くじのようなものと思う。

家に帰ると、DVDドライバーばっちり使えた。本来の目的(デジタルで映す)はまったく達成してないが、まあ満足する。

その後、色々調べる。グラボを買い換えるのがもっとも手っ取り早いのだが、けっこう高い。中古でも1万とか。そのうち、ケーブルが「シングル」だと映らないが、「ダブル」だと映るという現象があることを、とあるサイトで知る。だったら、まずはその、ダブルリンクのケーブルを試してみたい。値段もケーブルなら3,4千円もしないだろう。

そのうち、用事で葛西の方へ行くことがあったので、帰りに秋葉に寄る。で、徹底的にケーブルをさがす。が、ない。シングルとダブルは形状が違う。たまーに、あやしげな包装の中に、ダブルの形状のものがある。しかし、タイトルにはダブルと書いてない。念のために店員に聞くと、「ダブルと明記してないものは、見かけだけダブルで、中身はシングルですから注意してください」とのこと。ひどい話だ。

秋葉中、巡り歩く。LAOXもできたばかりのよどばしカメラも行く。ない。ラジオ会館とかそういう「通」なところも行く。ない。よどばしの店員にカタログを広げてもらったが、やはりない。「もしかしたら、この世に存在しないのでは?」と聞くと、「いや、そんなことはない。前に、みました! この目で!」と口から泡をふいて力説される。ここまでくると、幻の動物に近い。ネッシーか雪男なみだ。

イライラしてきて、よほど、バッタもんの形状だけのダブルもどきを買おうかと思ったが、「いやいや意味がない」と思い直す。「ネットだ。家に帰って、ネットで調べよう」とつぶやきながら、とりあえず、よどばしカメラのはいってるビルの8階へ。そこの「鶴橋風月」で、ビールとキムチとお好み焼きを食って、帰る。うまい。またもや、目的は達成できなかったが、それなりにしあわせになった。

次に、仕事仲間と熱海へ行く。慰安旅行。その帰りの新幹線で、世話になった社長さんに「ダブルリンクのケーブルが手に入らない」と話を持ちかけると、「そうなんですよ!」と意気投合。その社長も秋葉中さがして手に入らなかったそうな。で、社長いわく、「この前、新宿のよどばしで、二本だけみつけた。モノはよさそうだった」との話。これもなにかの運命かと、熱海の帰りに、すぐに新宿へ行く。で、よどばしへ直行。

ない。

店員に聞くと、「確かに見たんです。でも、今はない」。やはり、ネッシーだ。もう、こうなってきたら、DVIのデュアルリンクケーブルを探すのは、ライフワークにしようと心に固く誓う。

この日は旅のつかれか、妙に腹が減った。昼飯もすんでるのに、何か食いたくて仕方がない。地下で、立ち食いソバなのに、650円という高い値のついたソバを見つける。散々悩んだすえにトライ。まずい! クソまずくて、泣きそうになって重い荷物をかかえて帰宅。

で、今日、割りとヒマだったので、前からしようしようと思ってやってなかった、Windows XP にSP2を導入。すると、なぜだか、GYAOのサイトに行くとフリーズするようになった。調べると、ドライバーのアップデートが必要とのこと。

やってみる。すぐに治る。

「もしや!」と思い、DVIケーブル(シングル)をつないでみた。

映ったー ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!!

映った瞬間、この数週間の出来事が走馬灯のように駆け巡りました。車のお礼にお菓子を買ったこと。駐車場が見つからず、もれそうな小便を耐えながら、路駐したこと。キムチがうまかったこと。まずいソバ。500円のジャンクDVDでエロDVDが映ったときの喜び。新宿でカバンが重かったこと。新幹線での社長さんとの共感……。そして、熱海の夜。

しかし……

ドライバーを更新するという、もっとも基本的なことを忘れていたオレって……。○| ̄|_

まあ、楽しい毎日です。
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by asano_kazuya | 2006-02-21 22:26 | 身辺雑記
ここんところ忙しくて、ずっと、このブログもほったらかしだった。で、やっとぽっかり時間があいたので、久しぶりに書きます。いつもいつもくだらないことばかり書いてますが、今日は本当にくだらないので、なにかを期待してるなら(そんな人いないと思いますが)、これ以上読まないで下さい。

で、何について書くかと言うと、「おたくとはなにか?」です。といっても、厳密なものではなく、あくまでもイメージ。それも、麻野がもってるイメージではなく、「おたくというと、世間の人がこう思ってるだろうな」と麻野が勝手に思い込んでるイメージ。なので、まったく無責任です。

で、なんでこんなことを書きたくなったかというと……。最近、秋葉原に何度か足を向けたんですが、どうもあのおたくの聖地に、異分子がチョロチョロと紛れ込んでるんです。もう死語ですがいわゆるガングロ系の女子高生や茶髪の男子高生が集団でいたり、普通の社会人が歩いてる(当たり前といえば当たり前ですが)。そしてたいてい声高に笑ってる。耳をすますと、どうも、「おたく見物」に来てるようなんですな、これが。

「さっきのヤツ、萌え萌えシャワーってなんだよ、意味わかんねー!」とか、「ネエネエ、今の見た? きもい、信じらんなーい」とか、いいながら、サファリ気分味わっとるんですよ。もちろん、わざわざ来てるんじゃないだろうけど、「近くに来たから、ちょっと見ていくか」というくらいの遠回りはしてる感じ。

おそらく、「電車男」の影響でしょうな。以前にも、総武線に乗ってたら、中学生が、「秋葉原って行ったことある?」とか「お前には似合うよ」とか笑いあってたんですが、これも電車男で、そういう世界のことを知ったんでしょう。それで、そういう部外者の人間がおたくというものに持つイメージをちょっと整理してみたいなと思ったのです。

「おたくとはなにか?」
では、長々と始めます。



まず、「おたくは不細工でないといけない」。

昔、京本政樹が、「ぼくはおたくなんです」といっていたが、そんなものは麻野の中の世間は認めない。あんなカッコいいおたくは、ダメ。却下。なにかをコレクションしてるとか、熱狂的に好きだとかは2の次。とにかく不細工なのは、必要条件。

次、「おたくはデブでないといけないか?」

これを疑問形にしたのは、たまに、やせたオタクもいるからです。デブであることは、おたくの成立に大きくかかわっています。中肉だとおたくと断定しづらい。できれば、せめて小太りであってほしい。もちろん、筋肉質はもってのほか。でも、あくまでも見た目なので、本当は筋肉があっても、デブにしか見えないなら、それはOK。

で、問題はやせっぽち。これはなんかおたくの中にいれたい。特に、ガリガリで、伸ばした髪の毛を後ろでくくってる男は、是非ともいれたい。頬がこけててバンダナとかしてるのは、どうしてもいれときたい。なので、少し表現をかえます。
「おたくは筋肉がないように見えないといけない」

これで、スッキリしました。デブでもいいし、ガリでもいい。なんでもいいから、筋肉がないように見えれば、おたくへ近づけるのです。

では、次。

「おたくとは会話が困難である」

ちゃんと人のいうことを聞いて、それに対して反応するのは、おたくとはいえません。会話が成立したらダメです。こちらの目を見ず、聞いてるのか聞いてないのかわからない。そのくせ、たまたま自分の守備範囲のワードが出たとたん、聞きもしてないのに流れるようなうんちくをまくしたてる。そして、一旦はじまると、長い。くどい。つまらない。というか、わからない。何をいってるのかさっぱりわからない。こっちが口をはさむ余地がない。だからもう耐えるしかない。早く終わってくれ。願うしかない。しかし、おたくは察するのが苦手。そんな気持ちなど伝わらない。



……と、ここまで得々として書いてたら、電話が鳴った。とると、「大変申し訳ないんですが、今やっているプロジェクト、中止になりそうです」


  . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: .:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: :::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄

なんてこった。……やっぱり他人の悪口書くから、罰があたったんだ!
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by asano_kazuya | 2006-02-14 11:18 | 身辺雑記
 昔に比べると、人前で話すのが、それほどには苦ではなくなっている。10代、20代の頃はすごく苦手で緊張したが、最近はそうでもない。年のせいでずぶとくなったか、無神経になったかと思っていたが、さっき、別の原因もあるかもと思いついた。それは留守電だ。

 留守電が普及し始めた当初、機械に声をふきこむことにすごく抵抗があった。それがイヤなので、そのまま切ることもあった。

 電話をかける相手というのは、たいていは知人だ。その人との会話のテンポや間を思い出しながら、掛け合いのつもりで電話すると、留守電は非情にも、そんな自分にいきなり小さな独演会を強いる。電話の前で固まる。勇気がいる。「えーと」とか「うーん」という、一拍もいる。留守電は、「改めて話す」ことを強いる機械なのだ。

 そんな、「改めて話す」ということを、日常的にやってるうちに、なんとなく人前で話すことも、慣れてきたのじゃないかと、さっき、ふと思った。
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by asano_kazuya | 2006-01-13 19:14 | 身辺雑記
前、なんかでこんな文章を読んだ。

「男女の愛はどんなに無償に見えても、最終的には「寝たい」とか、「相手に愛されたい」という欲望が根底にあるから、ホンモノではない。それに比べると、親の子に対する愛情は、まさに無償の愛といえよう。なんの期待もない。」

これを読んだ当時は、まだ子がいなかったので、はあそんなもんかいな、そうかもしれんなあと素直に飲み込んでいたのだが、今、子のいる立場になってみると、そんなことはウソだとはっきりわかる。親の子に対する愛情も、決して無償ではない。

とはいっても、別にコドモに老後の面倒を期待しているとかそういうことではない。

前に、このブログで、コドモにオモチャを買ってやるときの心境は、自分のパソコンにメモリーを増設するようなものだと書いたことがあるが、やはりそれに近い。「マシンが速くなった=コドモが笑った」、なのだ。秋葉に行って、メモリを買う。速くて大きなHDDを買う。パーツを手に取り、さぞかし快適に動くだろうと想像しながらほくそえむ。これと、コドモに三輪車を買ってやろうとオモチャ屋でニヤニヤするのはまったく一緒だ。思いっきり見返りを期待しているのだ。

いやいや、それくらいの見返りなら無償だ。無償ということにしとこうぜ、というのなら、いわゆる男女の愛も無償だろう。愛されたいとか寝たいというのは、コドモの笑顔を求めるのとどれほどの差もあるとは思えない。金や地位目当てにくっつくのなら別だけど。ついでにマシンのチューンナップも無償の愛だ。だってあんまり意味ないもの。

で、こんなことを考えてたら思い出したのが、井伏鱒二の「山椒魚」。これ、「ふいんき語り」でも対象にした本だけど、とにかく作者がいつまでも推敲したので有名な小説。短編なんだけど、というか、短編であるがゆえにか、機会があるたびに、あっちをけずったり、こっちを変えたり、死ぬまでやっていたらしい。

気持ちはわかる。ゲーム作ってても、いつまでもいつまでもいじっていたいときがあるから。小説でもゲームでもシメキリがある。いったんは切る。しかし、そのあと、ゲームの場合は、開発環境は必要だし、そもそも権利が個人にないのでいじれないが、作家だと、ペン一本でできるし、権利もある。やりたくなるだろうなあ、と思う。

ただ、すべての作家がそんなことをするわけではないし、井伏鱒二にしても、推敲するのは「山椒魚」くらいだろう。それだけ、愛着があるんだ。きっと。そして、おそらく、それは無償の行為だろう。いくらなんでも、「ここけずったら、また重版かかるだろう……クックック」などと考えて推敲してるとは、考えにくい。真に好きでやってるに違いない。これも立派な無償の愛だ。

ただ、男女の愛とか、親子の愛に比べて、いったん出版した本を、あまり何度も推敲するのは、素直に暗い。後ろ向きだ。そんなだったら、新しい本書いたほうがいい。しかし、新しい本を書くのはパワーがいる。だったら、ずっといじっていたい。気持ちは分かる。だいたい、山椒魚という小説じたい、まあ、暗いっちゃあ、暗い。

こうやって、だんだん、井伏鱒二が気になる存在になってくるのであった。
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by asano_kazuya | 2005-12-27 16:15 | 身辺雑記
今年の夏ごろ、この↓麻雀ゲームの仕事のお手伝いをしました。

http://game.jaleco.co.jp/gal_jong2/

コンセプトは、キャバクラ雀荘。酒を飲む代わりに、麻雀をするという設定です。
麻雀そのものは楽にできるようになっていて、メインは女子との会話(&デート)です。

笑ってできるようになってるので、肩のこらないゲームとして、楽しんでみてください。
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by asano_kazuya | 2005-11-28 15:24 | 身辺雑記