カテゴリ:身辺雑記( 126 )

カゼをひいたので鼻のうがいをやってみた。何年か前に、坂上二郎が健康法としてやってるとかでちょっと流行ったものだ。

ヘタになってた。

前にやったときはなんなくできたのに、今やるとどうしても飲み込んでしまう。で、むせて咳き込み、吐きそうになる。どうも、瞬間的に鼻で吸い込む力が、若いときより落ちてるようだ。

そういえば、最近、ソバをすするのも昔よりヘタになった気がする。パワーがないから、ノドが疲れる。

脚力とか持久力とか、スポーツがらみの力は減退を自覚するのが早い。やばいと思えば意識的に走ったり泳いだりしてもどすこともできる。ところが、こういう、本来あまり強い筋力が不要なものが、ひそかに少しずつ弱くなってる。

「ソバすすり、千本」とかできないしなあ。こまったもんだ。
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by asano_kazuya | 2005-07-22 10:20 | 身辺雑記
 手元にある、「仏教用語辞典」(民明書房編纂)をパラパラとめくってみると、こうあった。

・「苦労」
  仏教用語で、徹夜で経文を読み上げる修行の一つ。
  高僧になるために必要な過程で、普通は35歳を過ぎないと許されない。
  しかし、後年、この修行をする権利を金品で買うことができるようになり、10代、20代で行うものが激増した。

 これを読んで、長年の疑問が解けた。いわゆる、「若いときの苦労は買ってでもしろ」というコトバの本意だ。

 ずっと、「若いときに苦労しておけば、年をとってから役にたつ」という、人生訓のひとつだと思っていたが、ちがった。もっと即物的なものだったのだ。

 年をとってからの徹夜はつらい。それだったら、金を出してでも、若いときにやっておいたほうが、楽だ。至極、当たり前の話である。現代でいうと、「運転免許は、若いうちにとっとけ」のようなものだったのだ。

 何事も、原典にあたってみないと、わからないものだ。
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by asano_kazuya | 2005-07-06 12:34 | 身辺雑記
 前に、JRの「スイカにふれてください」というコトバの違和感について書いたことがあるが、今日、もっと古くからあるもので、ずっと違和感を持っていたことを久しぶりに思い出した。それは、「歩行者専用」と書かれた交通信号だ。

 ふつう、○○専用というと、対象になった○○にしか使用できない、○○にしか権利がないといった意味合いだ。たとえば、最近話題の女性専用車は、女性しか乗れない車両のことで、男性は乗れない。しかし、他の車両に女性が乗るのは別にかまわない。つまり、女性の特権なのだ。

 だとすると、歩行者専用信号は、

1:歩行者のみが使用を許された信号
2:歩行者は、これ以外の信号をつかってもOK

 ということになる。しかし、これってなんか違う。

 だいたい、歩行者専用信号の方が、併設されてる信号より、横断できる時間が短い。つまり、専用信号の方が不便なのだ。これはまるで、女性専用者にのったら、チカンがうようよと待ち構えてるようなもんだ。

 それに、2の方もあやしい。むしろ逆で、、「歩行者は専用を使うべし」という押し付けを感じる。

 そもそも、○○専用というのは特権的なもので、ある程度あこがれが付随するコトバのはずだ。麻野はガンダムはよくしらないが、「シャー専用」というコトバくらいは知ってるし、それが本来、いくばくかのあこがれをもって語られていたことも知っている。

 そうやって考えていくと、歩行者専用信号には、実際は歩行者に不便を強いてるのにかかわらず、そのことには触れず、「ほらほら、専用でちゅよー」と、大人がコドモをだますような、そんな胡散臭さをかんじる。

 「歩行者専用信号が青の間、同方向の車道の車は止まってろ!」
 「そして、赤の間は、逆に走れ!」

 これくらいやってくれたら、歩行者専用信号として認めてやる。

 確か、歩行者専用信号を初めてみたのは、小学校のときで、最初っから、胡散臭いと感じていた。大人になって、少しは表現力がついて、こうやって人様に伝えられるようになって、本当にうれしい。ブログ最高!
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by asano_kazuya | 2005-06-27 16:46 | 身辺雑記
 ちょっと前から中国の反日運動が懸念されている。麻野の知人にも、「このまま行くと、戦争ですよ」とまで言う人がいた。しかし、麻野はあまり気にしていない。長い目で見たとき、今回の騒ぎは単なる部分的な濁流に過ぎないと思ってる。歴史の本流を変えるような大きなうねりではないと思うのだ。

 反日騒ぎをテレビで見たとき、日本の60年安保や70年安保の映像を思いだした。あの頃の日本は政治的に大騒ぎをしていた。大学紛争があり、、港で「ヤンキーゴーホーム」の大合唱があり、デモで樺美智子さんが亡くなり、日本全体が反米にわきかえってた……ように見えた。

 しかし、確かに反米騒ぎはあったが、その後の大勢には、あまり影響はなかった。騒いだ人たちには申し訳ないが、本当になかったと思う。なんというか、コップの中の嵐っていうの? 左翼にしろ右翼にしろ、そういうマニアックなインテリには影響はあったかもしれないが、一般民衆のレベルでは関係なかった。政治的には反米とかいいながら、アメリカの生活にあこがれ、コーラを飲み、プレスリーすきで、ジーンズはきたがってた。日本とアメリカが決裂して、再度戦争にまで……なんて、毛ほどもならなかった。

 今回の中国も、そうなんじゃないか。後で知ったんだけど、あの反日騒ぎの日、その直後に、北京では比較にならない規模の暴動がおきたと聞いた。数万だか数十万人だかの人数だ。そっちは、貧しい人たちが、中国当局に不満をぶつける暴動だったようで、大勢の人が死んだらしい。なぜだか、日本ではあまり大きくあつかってないみたいだけど。

 今回の反日は、おそらく中国のインテリが騒いでるのだろう。あるいは、インテリでなくても、ある程度経済的に余裕のあるものが、腹が満ちたら、プライドも満たしたいので、歴史を振り返り、旧日本軍の行いと今の日本の政治家に腹たててるんだと思う。でも、そういうのって底が浅いような気がする。

 このブログにも書いたけど、この前、上海に行ってきた。(今から考えるとタイミングよかった。もう少しおそかったら、危なくていけなかった)。で、そのときの感想をいうと、上海の街に日本がどんどん浸透してるように思えた。日本がというより、大衆社会かな。

 九州のラーメン屋のチェーン店があちこちにあった。多分、そこでメシ食うのって、日本でいうと30年くらい前の、ロイヤルホストだと思う。ちょっとカッコいいのだ。おしゃれなのだ。ウェディングドレスの店があった。式場の予約とかも受け付ける店だ。東京の青山通りよりもおしゃれな通りがあって、そこに面した店だった。ピッカピカの店で、大勢の若いカップルが幸せそうにしていた。これも日本の会社だ。

 高速道路も新しいし、大きなマンションがどんどん建っていた。どこへいっても工事中だ。日本と変わらないブランドの店が、バンバンある。ちなみに地下鉄はICカード形式の切符だった。まさかそこまで進んでるとはしらなかったので、切符の差込口をさがして、恥かいた。駅員に「touch and go!」といわれたのだ。とんだ田舎ものじゃないか!

 本屋にいったら、「鬼畜日本兵!」みたいな本もおいてあった。でも、紙質といい、装丁といい、どうしようもなくC級の本だとわかる。多分、まともな人は読んでない感じ。むしろ、多いのは株の本。デイトレードとかテクニカルの本からファンダメンタルまで、ものすごい量がおいてある。日本でも最近、株がはやりかけてるけど、本屋の本の100分の1もないと思う。でも、中国では、間違いなく本屋においてある10分の1が株の本だった。いや、見た感じだけだと、3分の1くらい株の本のイメージ。

 もう中国は、経済大国になるのは間違いないと思う。そしたら、そのときに考えるのは、金もうけだ。反日が金もうけにつながるなら、中国もそれをあおりたてるかもしれないが、日本とアメリカとの関係を見てても思うけど、多分、逆になるんじゃないかなあ。

 たしかに一部の中国人は、ずっと反日をいい続けるとはおもう。日本でも西部邁みたいな人がいるから。でも、ほとんどの人はどうでもよくなるんじゃないかなあ。気分としての反日は残るので、何かことがあると噴出はするかもしれないけど。

 為政者としては、とりあえず反日の芽は残しておいて、何か当局への不満がでそうになると、反日感情あおりたてて、民衆の不満をそらせるために使う、安全弁として使っていくんじゃないかなあ。

 つまり、逆にいうとその程度のものだから、あんまり気にしてもなあ、という気がする。あ、それと、旧日本軍がなにしたこれしたという話は、まったく別の話。それはそれ、これはこれ。
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by asano_kazuya | 2005-06-24 14:50 | 身辺雑記
だいぶ前のこと。二日酔いでうなって寝ていたら、疑問がわいてきた。

「仏」って字は、「ブツ」という読み方と「ほとけ」という読み方がある。おそらく「ブツ」が音読みで、「ほとけ」は訓読みだろう……え? 訓読み?

いや、訓読みはありえないはずだ!

音読みというのは、中国からはいってきた読み方、訓読みは日本の元々の呼び方だ。だから、山は「サン」と「やま」の二つの読み方がある。

仏教はインド由来、中国経由の思想だ。だから、元々日本になかった概念のはず。なのに、なんで訓読みがあるんだ? 「ほとけ」ってなんなんだ?

急に気になってきたので、辞書を引く。

……あっさり解決した。

「ほと」というのは「ぶつ」の転化。それに「け」がついたらしい。「け」は「気」だそうだ。
つまり、「ほとけ」とは「ぶっ気」で、訓読みではないのだ。
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by asano_kazuya | 2005-05-30 14:53 | 身辺雑記
東京ディズニーランドと右翼のセット。
マンガ家がいっせいにネタにするやろな。

・街宣車とミッキー
・日の丸掲揚したシンデレラ城

このへんまではだれでもおもいつく。こっからや、問題は。
だれが一番おもしろいものを描くか、楽しみや。
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by asano_kazuya | 2005-05-20 22:34 | 身辺雑記
小学校三年生まで、カゼをひいたときにクシャミをしたことがなかった。なので、ずっとテレビやマンガで、クシャミをした人が周りから「おや、カゼをひいたね」といわれているのは、単なる習慣に過ぎないと思っていた。くしゃみをすると、「だれかにウワサされてる」というのと同じようなものだと思っていたのだ。

ところが、小学校三年生のある日、カゼをひいたなと思っていたら、ホントにクシャミが出て驚いた。そうか、これは本当のことだったのだなと、やたらと感心したことを鮮明に覚えている。

同様に、悪寒というのも30歳をすぎるまで知らなかった。「ああ、悪寒がする」というのは、単に病気で寒いときはそういうものだと思っていた。12月31日だけは大晦日というようなものだと思っていたのだ。

だから、30歳をすぎたある日、風邪で寝ていた夜、トイレに行こうとして何ともいえないゾクゾクした不愉快な寒気が背中を襲ったとき、ああ、これが悪寒かと、感動に近いものを感じたことをぼんやりと覚えている。

そして、おととい、風邪をひいてしきりにクシャミをし、軽い悪寒を感じながら柏の街を歩いていて、なんとなく、足や手の筋肉の腱のあたりがシクシクとする感覚を覚えた。痛くはない。なんとなくシクシクする程度だ。しかし、このとき思った。いわゆる、風邪をひいて、体の節々が痛くなるというのは、これの重い症状なのではないかと。

いままで丈夫過ぎたのか、年をとるにつれ、少しずつ風邪の症状がバラエティに富んだものになっている。あまりうれしくない。小学校二年生までのように、鼻水とセキだけにもどってほしいもんだ。
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by asano_kazuya | 2005-05-12 17:02 | 身辺雑記
今回は、ですます調で書いてみます。

時々、他人と自分の感覚がどれくらいずれているのかが、非常に気になります。10代や20代の頃のように、それが劣等感やコンプレックスになるほどのことはないんですが、一応は、エンタテイメント産業の末端に従事する人間として、あまりに世間一般の感覚とずれていると、まずいのではないかと思うのです。

世間で騒がれていたり流行っているものが、麻野にはサッパリわからないというものが、たまにあります。たとえばそれが若いアイドルだったりすれば、単に自分が年取ったなあですむんですが、そういうのじゃなくて、もう全国的に受け入れられていたりすると、けっこう悩みます。

ベストセラーや流行映画が自分の好みに合わないというのとも違います。たとえば、「世界の中心で愛を叫ぶ」という小説は、売り上げほどの内容とは思わないんですが、売れる理由は理解できます。マツケンサンバも別にそんなにすごいサンバだとは思わないが、流行るのはわかります。

ええと、まどろっこしくてすみません。本題書きます。ずっと悩んでるんですが、私、村上春樹のよさがさっぱりわからないんです。

サザエさんが国民的なマンガの地位を獲得するのも、水戸黄門が、お茶の間の人気をもってるのも、笑点がずっと続くのも好き嫌いは別にして、理解できます。しかし、ホントーに村上春樹だけはわからない。いや、否定する気はないんです。特に嫌いでもない。読んでておもしろいと思うこともあります。しかし、あれほどの読者を獲得するというのがわからない。

昔は、「村上春樹がいい」といってるのは、雰囲気だけでいってるんじゃないかと本気で思ってました。ノルウェイの森が流行ったときも、装丁がよかったんだと本気で思ってました。しかし、海外でも受け入れられて大人気になっていくのを見て、これは、オレの感覚の方がおかしいんだと、最近は強く思うようになってきました。

チュン時代によく話をしていたイシイジロウというプロデューサーは村上春樹ファンで、「どのへんン魅力があるのか」というのを、昔聞いてみたことがあります。彼がいうには、「文章がとにかく魅力的だ。自分もああいうふうに書けたらとあこがれる」という返事がかえってきました。

そうなんだ。文章がいいんだ。もう、それがわからない。そういえば、三島由紀夫というのも、相当苦手な作家ですが、彼も「美文」を書く作家として有名です。そこいらへんになにかがあるのかもしれません。

あと、似たような話ですが、「うまい演技」というのもわからない。「好きな演技」とか「きらいな演技」というのはあるんですが、「あの役者はいい演技をする」ということの意味がわからない。

というわけで、自分にはどこか欠陥があるんじゃないかと、常々、思ってます。
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by asano_kazuya | 2005-04-19 17:38 | 身辺雑記
前々からゲーム業界はせまいと思っていた。知り合いを二人ほど間にはさめば、業界人全員とつながるようなイメージを持っていたが、本屋でこんな本を見つけた。
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これによると、間に6人の人間を介在すれば、世界中の人間はみなつながるらしい。つまり、麻野もブッシュ大統領と知り合いの知り合いをたどっていけば、6人以内でつながるのだ。

ちょっとやってみた。
うちのオトンは坊主だが、檀家に宮沢元首相がいる。

麻野→オトン→宮沢元首相→小泉首相→ブッシュ大統領。

なんと、間3人でつながった。もしかしたら、小泉首相はいらないかもしれない。そうなると、ブッシュと麻野は間二人でつながる。確かにこうやっていくと、6人というのは納得のいく数字だ。日本のゲーム業界は二人という実感も、そんなにはずれてない気がする。
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by asano_kazuya | 2005-04-12 17:15 | 身辺雑記
最近、銀行や役所の文句ばかり書いているが、ネタが尽きないのでついつい書いてしまう。今日は、バスの話。

雨の中、息子を病院に連れて行くため、乳母車でバスに乗車。行きのバスはいい運転手だった。バス共通カードの購入にあたり、領収書を頼むと、忙しい中をやりくりして、なんとかやってくれた。腰も低くていねいだった。申し訳ないくらいだった。

それに比べると、帰りはイマイチだった。降りるとき、バスから乳母車をおろしたいが、出口がせまいのと荷物があるため、傘と同時にはおろせない(前、それをやろうとして傘がオシャカになった)。先に乳母車をおろして、後から床においた傘を取ろうと手を伸ばすと、ドアが閉まった。体は路上、腕と傘は車内。そのまま発車するバス。すぐに気づいて解放されたが、ドアは意外と力が強く、そのあとしばらく腕が痛かった。つーか、あのまま運転されてたら、死んでたな。ワシ。1歳半の息子の目前で、バスに引きずられ、死ぬ父親。雨がザーザーふり、血が路上に流れ落ちる……壮絶や。

いつも思うが、親切ないい運転手と、悪い不快な運転手がいる。できれば、給料やボーナスで差をつけてほしいんだが、なんとか、それを実現する方法はないだろうか。乗客のジャッジが、給与体系にモロひびくようなシステムがあれば、運転手、乗客双方にいい循環が始まると思うのだけどなあ。

文句や感謝を会社に伝えたいが、下りてしまっては、運転手の名前がわからない。とにかく、名前を覚えておいて、あとで電話するしかないなあ。今は。

そうだ! バスの後ろに、でっかく運転手の名前を書くのだ。そしたら、下りてからでも名前がわかる。まあ、書きながらダメな匂いがプンプンするけど。
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by asano_kazuya | 2005-04-11 21:19 | 身辺雑記