カテゴリ:本( 53 )

a0016446_11374482.jpg古今日本の女流作家の恋愛小説をサカナに、あーだこーだ言っております。
各小説には、マンガによるあらすじもついてます。

おもしろく仕上がってますので、是非、店頭で手にとってみてください。
アマゾンはこちらです。
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by asano_kazuya | 2007-11-16 11:36 |
a0016446_18235643.jpg古代は、日本では器に盛った水を「もひ」といい、これを貴人に差し上げる、水を主(つかさ)どる人を「もひとり」と呼んだ。これが後世なまって、「もんど」となり、「主水」の訓となった。(本居宣長『古事記伝』古事記伝十七之巻、神代十五之巻「綿津見ノ宮の段」

ということらしい。

なんで、こんなことを急に書いたかというと、最近、読んだ「新しい神の国」という本で、著者の古田博司が、「最近の学生は調べ物というと、なんでもググろうとする。しかし、『主水』をなぜ『もんど』と呼ぶかというような高度な問題はネットではわからない」という主旨のことを書いていた(P139)からだ。

だったら、ここに書いておけば、ネットでもわかるようになるだろうと思って、書いたのだ。

この著者、「本当の知識の宝庫は図書館で、ネットでは広く浅い知識しか得られない」といってるが、古事記伝がネットで検索できるようになれば解決する話だし、是非そうなってほしい。本当の勉強は図書館で、ということがいいたいのだとしたら、なんだかずれた意見だ。世界では、アレキサンドリアなどの主要図書館をネットでつなごうという話が出てきてるのに。

と、批判的なことをいってますが、この本、おもしろいです。クセはありますが。レビュー書いたんで、よかったらどうぞ。
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by asano_kazuya | 2007-11-05 15:06 |
a0016446_18312970.jpg子供の頃は地図とか地理が大の苦手だった。

中学のときのテストで地理が17点だかなんだかで、親を嘆かせた。次のテストのとき、試験官の先生に質問して、その先生が担当の先生に設問の意味を聞きに行ってるすきに、まわりの友達の答案用紙をうつさせてもらった。

で、80点だか90点だかもらい、親は「やればできるじゃない」と喜び、麻野は心の中で、「カンニングがな」とつぶやいた。

ところが皮肉なもので、大学で教育実習行ったのは、中学地理。教員免状もそれでとった。でも別にその時点で好きだったわけでもなんでもなく、成り行きに過ぎなかった。

そんな麻野だったが、大学卒業後に知ったドラゴンクエストというゲームで地図が大好きになってしまった。脳のなかで、地図=冒険になってしまったのだ。ほかにもシヴィライゼーションとか、アトラスとか、地図がでてくるゲームは無茶苦茶好きだ。

今では、地図さえながめてれば、新幹線の大阪~東京間も、あっという間に過ぎてしまうほど熱中できる地図バカだ。

そんな麻野が、地図関係の本のレビュー書きました。よろしくです。
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by asano_kazuya | 2007-10-29 14:05 |
a0016446_18335342.gif久しぶりに岸田秀を読みました。
岸田節は健在なので、うれしかった。

というわけで、レビューです。
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by asano_kazuya | 2007-09-29 11:44 |
a0016446_1836115.jpg「ポスト・ヒューマン誕生」という本があまりにおもしろく、興奮して夜も眠れない。
とりあえず文章にすれば気がおさまるかと思い、レビューを書いた。

それから色々あって、NBオンラインの「超ビジネス書レビュー」に掲載されました。
これ読んで興味を持った人は、是非、本のほうも読んで欲しいです。
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by asano_kazuya | 2007-08-08 10:29 |
昨日、いつものBGKの二人、米光、飯田両氏と茂木健一郎の「脳と仮想」について鼎談した。クオリアと仮想という言葉が頻出する本なのだが、そのせいで、何を見てもクオリアを考える頭になってしまった。

朝起きて、息子の顔を見る。「ああ、息子のクオリア」と思う。「このすべすべのハムみたいな足は、幼児のクオリアか」とも思う。トイレで朝日新聞を開くと、サイバーエージェントの藤田晋の顔写真が目に飛び込む。「ああ、この男の顔はどこかでみたことがあると思っていたが、今気づいた。野茂だ。野茂に似ている」。野茂のクオリアが発動したのだ。やがて、脱糞のクオリア。下水管に流れていく糞に「バイバイー」と手を振る2歳児のクオリア。もう、なんだかよくわからない。どうにもクオリアは手ごわい。
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by asano_kazuya | 2006-06-24 09:58 |
a0016446_1945921.jpg文芸春秋6月号で、おもしろい記事があった。

竹下節子さんという方が書いた『「ダ・ヴィンチ・コード」四つの嘘』という記事。

誰もが知ってると思うが、この「ダ・ヴィンチ・コード」という本は世界的に売れていて、映画にもなった。麻野たちも、去年、ベストセラー本ゲーム化会議で、仮想ゲーム化させてもらった。

この本は、「レオナルド・ダ・ヴィンチの謎を解いていくと、バチカンが隠し続けてきたキリスト教の秘密がわかる」といった、歴史ミステリーだ。もちろん、あくまでもエンターテイメントで、史実とかそういうのは、いい加減。暗号の専門家が、アナグラムになかなか気がつかないとか、ツッコミどころも満載。

批判的に本を読む習慣のある人が読めば、あくまでも「お話」とわかるのだが、信じやすいタイプの人間だと、本気にしてしまうかもしれない。この記事は、「レオナルド専門家として、一応クギさしておきますよ」といった内容。詳細は本文を読んでもらうとして、抜粋する。

まず、ダ・ヴィンチ・コードはこういってる。

1.キリスト教は女性原理(ギリシャ・ローマにみられる女神など)を隠してきた。
2.イエスはマグダラのマリアと結婚していて、その子孫がヨーロッパの王家の血筋になった。
3.上の二つの秘密を守るために修道院が作られて、そのリーダーのレオナルド・ダ・ヴィンチは、自分の絵やタイトルにそれとなく隠した。
4:これらのことがばれるとやばいので、バチカンは必死で隠している。


で、竹下さんは、こういってる。

1.キリスト教は女性原理を隠してない。マリア信仰がそのいい例。
2.イエスとマリアの結婚に証拠はない。その子孫がヨーロッパの王家の血筋というのも根拠ない。
3.もとから隠す気などないので、バチカンはなにも困らない。そもそも、イエスは人間と神の両方の属性を持っているというのがバチカンの教義。人間の方のイエスがなにをしようとも、神の部分には関係ない。
4.つーか、キリスト教にまつわるオカルト系の話は山ほどある。源義経がジンギスカンになったというのと同程度の話。それを本気にした(のか確信犯なのかわからんが)のが、作者のダン・ブラウン。


キリスト教関係のトンデモ本の源流は、ルネサンス知識人をはじめとするヨーロッパの人々の「お遊び」だったようだ。どうも、アメリカ人のダン・ブラウンは、その辺のヨーロッパ人の「ネタ」がわからず、マジで(なのかワザとなのか)釣られたという構図。


ブログのネタにさせてもらったので、感謝の意味をこめて、竹下さんの本の紹介をしておく。
『レオナルド・ダ・ヴィンチ――伝説の虚像』(中央公論社)。ちなみに、麻野は読んでません。
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by asano_kazuya | 2006-05-14 18:47 |
阪神が阪急に買われるとか。

むかし、「かんべむさし」という作家が、「決戦日本シリーズ」という短編SFを書いた。セリーグで阪神が優勝し、パリーグで、今はなき阪急ブレーブスが優勝し、日本シリーズは、関西の、それも阪神間(どっちのホームグラウンドも西宮)だけでもりあがるという、超ローカルだが、そこに住んでる人間にはたまらなくワクワクする小説だった。

阪神間というのは、大阪から神戸へと東西に長い地域だが、その地域を北から阪急、JR、阪神の三線が、ほぼ平行に東西に走っている。でもって、大体、高級なイメージというのは、阪急沿線>JR沿線>阪神沿線であり、なおかつ、尼崎とか西宮、芦屋など、それぞれ生活文化がまったく異なった地域を串刺しにしていた。これらの町は東京でいうと、蒲田と武蔵野と松涛みたいなものだ。「決戦日本シリーズ」は、その辺の地域差も書き分けていて、メチャメチャおもろかった。

小説では、優勝した方が負けた方の路線に電車を走らせるという設定になっていた。阪神が勝ったら、阪急の線路を阪神電車が走り、阪急が勝ったら、阪神の路線を阪急が走るのだ。

その当時、阪神と阪急は今津という駅で、ほとんどくっついて存在していた。小説では、その状況を利用して、今津から乗り入れるということになっていた。普段今津を利用している麻野にとっては、それはも、ものごっつうリアリティのある話やった(実際は、高速神戸の方へいけば、乗り入れはもっと楽にできるかもしれないが)。

結末は二通り描かれていた。途中から上下に段が分かれいて、両方が勝った場合の結末が読めた。阪神ファンにも阪急ファンにも満足の結末だったのだ。ただし、実際のところ、阪急がパで優勝することはあっても、阪神がセで優勝する日が来るとは、阪神ファンの麻野でも、夢にも思ってなかった。そのころの阪神は信じられないほど弱かったのだ。

麻野がこの小説を読んだのは、中学か高校のころだった。やがて月日は流れ、阪急ブレーブスはなくなった。なんか、あっさりなくなった。西宮球場も、今はどうなったかしらない。競輪だか競馬場として残ったんだっけ? それとも住宅展示場になったんだっけ? それは南海の球場だったっけ? それで宮部みゆきの火車だったっけ? ……えーと、あいまいだ。ただ、あっさり消えたけど、心のすみで、「ああ、これでもう決戦日本シリーズはできなくなったな」と思ってた。

でも、まあいいや。阪神あるし、甲子園あるしと思ってた。最近は、優勝もするしと思ってた。

ところが、阪神が阪急に買われるという。

まさか、阪急タイガース? ええ! まじすか?!

子供の頃よく行ってた二大遊園地。甲子園阪神パークと宝塚ファミリーランド。両方ともなくなった。この上、阪神タイガースまで、阪急タイガースになっちゃうの? 関西の地盤沈下とかいわれるけど、もう勘弁してよといいたい。のこのこ東京に出てきてずっといすわってる麻野が偉そうにいえる話じゃないんだけどね。すんません。

気になるのは、どっちの車両になるかだ。でも、おそらく阪急だろうな。あの小豆色の車両の方が、阪神のツートンカラーより、どう考えても品がいい。となると、出屋敷や杭瀬を小豆色の電車が走るのか。淀川や鳴尾に小豆が……。阪神梅田駅が小豆一色……。

ああ、そうか。阪神百貨店も第二阪急百貨店とかになるのか。地下の立ち食いのイカ焼きにベルバラの模様が押されるのか。チャーメンに花組セットとか宙組セットとかの名前がつくのか。小豆色の電車に、禁治産者みたいな人やガラの悪い人間がドヤドヤと乗ってくるのか。黄色と黒の縦シマのかっこうしたタイガースファンが、六甲おろしを歌いながら、甲子園の駅から小豆色の車両にのって、梅田まで阪神線をひた走るのか。ああ、それもおもろいかもしれん。おもろいかもしれんなあ。

結局、思いもせんかった形で、かんべむさしの世界が実現するのかも知れんなあ。
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by asano_kazuya | 2006-04-18 20:19 |
a0016446_219181.jpg古典を読むと、その後、その古典にまつわる諸説も楽しめる。

この前、「ふいんき語り」関係で漱石の「こころ」を読んだ。「こころ」についての論説は数多く、橋本治は、「『こころ』はホモ小説」という見方をしてるし、「ふいんき」の共著の米光さんから教えてもらって、石原千秋という人の漱石論も楽しんだ。

たまたま、先日、「山本七平の日本の歴史」という本を本屋で見つけて買ってみたところ、この中にも漱石の「こころ」論が載っていた。


面倒くさいので、くわしくは書かないが、山本七平という人は、「日本人とユダヤ人」というべらぼうに面白い本を書いた人である。毀誉褒貶あるが、おもしろいのはまちがいないので、読んだことない人がいればお勧めする。ただし、著者名は山本ではなく、「イダヤ・ベンダサン」というペンネームになっている。

さて、「山本七平の日本の歴史」である。これによると、「こころ」は天皇制の話であり、日本の社会を色濃く反映している小説らしい。「お嬢さん」は、「去私の人」であり、理念としての理想的天皇像であると。で、「先生」は北条泰時、「K」は後醍醐天皇になるそうだ。なんでそうなるかを書きたいところだが、麻野の筆力では書ききれない。興味を持った方は、本書を読んでください。

また、山本氏は、こんなことも書いている。

――「お嬢さん」否「奥さん」否「未亡人」は、「先生」の墓をどこに建てたであろう。それは「K」の墓の隣以外にない。

そうだ。確かにそうだろう。しかし、これって、「こころ」読んだ人ならわかると思うけど、相当ホラーだ。「うげげげげげー!」って感じの話だ。そこまで想像が働くってこと自体が、すごい!

この本は、他にも、「下克上」というコトバの本当の意味とか、新井白石が「天皇制は足利尊氏が作った」と主張していたこととか、驚きの連続だった。残念なのは、古文の引用が多く、浅学な麻野には、読めない箇所が多々あったことだ。もっと勉強せねば。

まだ上巻しか読んでないので、下巻を買いに今日、本屋にいった。しかし、置いてない。やはり山本氏の、「日本人とアメリカ人」とか、「イスラムについて」など、おもしろそうな本はあったが、あまりつまみぐいするのは、もったいない。しょうがないので、とりあえず高校生向けの古文の参考書を買ってきた。ヒマみつけて、古文にトライすることとする。

山本七平もすごいが、「こころ」一冊読んでおけば、その周りを衛星のように回る「こころ論」もたのしめる。古典おそるべし、だ。

そうそう。山本七平は、「漱石は名前がきらいだから、Kとか先生とか、あだ名みたいなのばかりだ。「我輩は猫である」の猫にすら、名前がない」と書き、「同様の傾向にあるカフカと比べるのも興味深い」といっていた。

カフカも、つい先日、「変身」のゲーム化をやったばかりだったので、なんとなくシンクロニシティー感じて、ドキッとした。ちなみに、「変身」のゲーム化は、今発売中のダ・ヴィンチに掲載してるので、読んでみてください。
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by asano_kazuya | 2006-03-16 21:07 |
 中学の時に「2001年宇宙の旅」を観た。冒頭の猿が骨を放り投げるシーンがとても印象的だったのだが、そこで使われていたのが、シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」という曲だった。1回聞いたら、二度と忘れないインパクトがあった。ただ、映画ではほんとうにちょっとしか流れなかったので、ぜひ全曲聞きたいと思った。

 しかし中学生のことだ。金がない。それにクラシックという時点で敷居が高く、なかなかレコードを買うまでにはいたらなかった。そんなある日FMでこの曲が流れると知った。その日を心待ちにし、エアチェックの準備も整え、ラジカセに向かった。

 曲が始まると、それがいきなり、「映画のそのシーンに流れていた箇所」だった。わくわくした。思わず幻の指揮棒をふりそうになる。はじまりがこれだけすごいなら、中の方ではどれほどすごい曲なのか。期待はふくらんだ。

 ところが、しばらくするとなんだか単調な曲に変わってしまった。

 で、そのまま。
 正直言って、退屈。

 15分くらい耐えていたがそれが限界だった。しょうがないので、マンガ読みながら聞き終えた。結局、最後まで退屈だった。すごかったのは最初だけだったのだ。がっかりしながら、レコードを買わなくてよかったと心底思った。

 しかし、中学生というのは自分に自信がない。この曲のよさがわからないのは、自分にクラシックを聞く素養がないからだと思い込んだ。それから30年……。

 この正月、岡田暁生著「西洋音楽史」を読んだ。そこに、「ツァラトゥストラはかく語りき」のことが書いてあった。以下、引用する。


 「重装備を施されたマンモス・オーケストラで聴衆の度肝を抜く音楽」の代表といえば、何といってもシュトラウスだ。(中略)19世紀音楽の大きな特徴である「ハッタリの原理」を、彼はあからさまに前面に押し出してくる。
 (中略)
 曲が始まったら即座に聴き手の心をつかんでしまおうとするのが、シュトラウスである。つまり彼はクライマックスを一番最初にもってくる(ひらたくいえば「最初の一撃でハッタリをかます」)傾向があるのだ。その典型が交響詩《ツァラトゥストラはこう言った》(1896年)(中略)である。これほど圧倒的な曲の始まりが書けた作曲家はシュトラウス以外にいない。だが――結局のところ一番「スゴイ」のは最初なのだ。いつまで待っても、怒涛のような冒頭を凌ぐクライマックスはもう現れない。それどころか、曲が先へ進むにつれて冒頭の力の漲りは徐々に徐々に萎えていき、最後は諦念の中で消えるように曲が閉じられるというのが、シュトラウスの多くの作品の特徴である。


 「そうか! 中学のときの感想は、的外れじゃなかったんだ!」
 そう思い、新年早々、ちょっとうれしかったのです。

 みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしく。
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by asano_kazuya | 2006-01-03 16:04 |