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東京のJR中央線は飛び込み自殺が多いので有名だが、夏目漱石の「三四郎」を読んでいたら、甲武線の大久保駅での自殺の話が出てきた。甲武線というのは中央線の前身だ。

この本、明治41年に書かれている。ほぼ100年前だ。つまり、100年前から自殺で有名な路線なわけだ。中央線沿線に住んでいた頃は、通勤途中、しょっちゅう電車がとまって困っていたが、そんなに伝統のある特性だと知り、あらためて驚いた。

つーか。呪われてるんじゃないか?
数年前に、「中央線の呪い」という本がでた。これは、「一度住むと離れられない」という、いわば郷土自慢を、あえて「呪い」と冗談ぽくいっていただけだが、漱石の時代から自殺で有名だとすると、マジで呪われてるのかもしれない。

沿線にある皇居には、神主の総大将が住んでいる。一度大規模な「お祓い」でもしてもらったらどうだろうか。
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by asano_kazuya | 2004-10-31 19:08 | 身辺雑記
今日、本屋で立ち読みしてたら、「ハイチオールCは、本来二日酔いの効果がメインだったが、それでは売れなかった。人気女優を看板にして、シミそばかす対策の薬として若い女性をターゲットにしたら、バカ売れした」とあった。

「同じ商品でも、売り方を変えると売れる例」として書かれていたのだが、そんなことはどうでもいい。今まで、二日酔いの薬というと、ソルマックとか、ああいう胃の薬っぽいのしか知らなかった。人によっては効くのかも知れないが、ワシはダメだ。

「もっと、こう、内部からぐうううんと効く、二日酔いの薬がほしい!」

それがワシの夢やった。
もしかしたら、その夢がかなうかもしれないので、すぐに薬屋で買って来ました、ハイチオールC。そして、今、のみました、明日のために。

つーか、うれしくて。なんでも、湿疹にも効くらしい。この前の冬から、汗庖(かんぽう)という、湿疹の一種に悩まされているので、それにも効いたら最高だわ。30日分買ってきたので、また、結果報告はここにあげます。

以前、尻がつるという8年にわたる悩みが、マグネシウム飲んだらアッサリ3日で治った。それの再来を期待したい!
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by asano_kazuya | 2004-10-21 20:02 | 身辺雑記
今回の台風23号はすごかった。でかい。
テレビで天気図を見てたら、東京と大阪が暴風域にすっぽりおさまっていた。強風域にいたっては、岡山から岩手までがおさまっている。

ワシの記憶では、ここまで巨大な台風は見たことない。もちろん、ワシの記憶力というか、観察力はまったくいい加減なので、今までにも、こんな台風ザラに来ていたかもしれない。しかし、まあ、いい。とにかく今回は、その巨大さを思い知ったのだ。

関西に住んでいた頃は、テレビで東京の台風状況を映すころは、もう「終わったこと」になってた。「え? 何? 台風? まだそんなこというてんの、東京は」という感じだった。逆に、東京に住むようになってからは、テレビで、「うわあ。大阪はえらいことになってるなあ」と驚いても、「でもまあ、東京に来る頃は弱まってるし」と、他人事やった。つまり、大阪と東京は、台風に関して同時に思いをひとつにすることはなかったのだ。

しかし、今回は、TVで流れてる大阪や三重の状況は、そのときの自分の家の窓の外と、まったく同じだった。東京大阪間、ほぼ600Kmが同じ気象状態だなんて!

それどころか、岡山県人と岩手県人が、手に手をとって同じ強風を憂うのだ。

江戸時代、享保の飢饉で岩手では人肉の市が立っている頃、岡山人はのんびりキビダンゴを食ってたに違いない。それほど、遠かった県同士が、「今は、今だけは」、思いをひとつにしている! ……天気図見ながら、ワシは感動していた。

なんつーか、紅白歌合戦が終わって、「往く年来る年」が始まった瞬間にしか味わえない、、「日本中が同じ目にあってる感」が、10月に味わえたのだ。なかなか妙な感覚だった。

ところで、今日の新聞によると、今回、被害が大きかったのは、岡山、兵庫、京都らしいが、これは非常によくわかる。というのが、この辺の人間は、割と台風をなめている。普段、少々の台風が来ても、沖縄や九州ほどの被害はないからだ。たまに大雪が降って、ころぶ東京人と同じだ。なので、今回のような例外的な台風がくると、被害が大きくなってしまうんだと思う。これに関しては、家族親戚が、この周辺なので、ワシも他人事ではない。

えーと。結論は別にないな。終わります。
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by asano_kazuya | 2004-10-21 19:31 | 身辺雑記
年を重ねて、子供の頃と意見が変わることというのは、ままある。今日も、昨日までは納得行かなかったことに対して、「なるほど、それも一理ある」と思うことがあった。

堤義明は西武鉄道の社長だが、今回、株の保有率のごまかしがバレて辞任した。そのあおりで株価は二日連続ストップ安。もしかしたら月曜以降も続くかもしれない。

この話、はじめは興味本位だけで見ていたが、調べるうちに、とんでもなくひどい話だということがわかってきた。どうひどいのかは細かく書かない。今回の趣旨とずれるし、書くのが面倒だからだ。

とにかく、堤は無責任すぎる。以前、読売の渡辺のことを、このブログでののしったが、あれはまだ、腹が立つというレベルだった。しかし、今回はまずい。ヘタするとクビをくくる人間もでてくる。それに西武といえば大企業だ。信用があるとされている企業が、こんないい加減なことをしていたとなると、株式市場全体の信用がゆらぐ。

雪印や三菱自動車もひどかった。この2社の場合は人の命に直接関わるので、比較すると、こっちの会社の無責任の方が恐ろしく思える。ただ、この2社と今回の西武の大きな違いは、前者は会社全体に責任があったのに比べ、後者は堤個人の責任にすべてが帰することだ。従業員の大半は何の責任もない。

いや、責任がないどころか、従業員は被害者にすらなっている。ヤフーの掲示板こんなことが書いてあった。西武の社員の中に、会社の持ち株会で株を買っていた人間がいる。勤続している間は、社長の堤の元でマジメに働いたのに、その堤のせいで、貯蓄代わりの株の値段がバカみたいに下げられたのだ。裏切り行為もはなはだしいと。

今回、堤は辞任したが、別に経済的には何も困らない。困るのは、こういう末端の社員だ。そして、ライオンズの優勝を喜んで株を買った一般投資家だ。西武沿線に住んでいて、西武の電車に愛着を感じ、せめて無料切符の配当がいくらかもらえるならと株を持ち続けてきた優良な投資家だ。西武の株は、元々がディフェンシブ銘柄だから、保有者のほとんどは投機家ではなく、まともな投資家だったと思う。それを堤は裏切った。

いかん! 何がひどいか細かく書かないといってたのに、結局ムシャクシャして書いてしまった。……本題に戻る。

江戸時代、罪人は、本人だけの処罰ではなく、一族郎党皆殺しにしたことがよくあった。とくに政敵を処罰する場合などはそうだ。これは日本だけでなく中国もそうで、東洋には全般的にみられる傾向だと思う。

子供のときは、こういうのを本で読んで、ひどい話だと思っていた。だって、少なくとも本人の子供や親戚の子供はなんの責任もないから。親戚だって、中には本人と結託している者もいれば、なんの関係ない人も多数いただろう。

西洋の歴史を読んでいると、こんな話はあまりでてこないので、そういう意味では、「西洋の方がいいなあ。個人の罪は個人の処罰で始末するのがスジが通ってる」と思っていた。西洋には西洋で、魔女狩りなどの独特の非合理が存在するのだが、まだ知らなかった。それはともかく、昨日も自転車に乗りながらそのことを思い出し、「罪人の一族郎党処罰は非合理だ」との思いを強くしていた。

ところが、今日、そのやり方にも一抹の合理性があると、考えを少し改めたのだ。

今朝、堤のことを考えていて、こう思った。「このオッサンを貧乏地獄につきおとすには、どうすればいいだろう」と。通帳の残高が減っていく恐怖や、サラ金においまわされる地獄を味合わせてやりたい。老後の資金に買った株がストップ安になり、売るにも売れない悲しみを教えてあげたい。

まずは、資産の差し押さえだろう。で、服や宝石など金になりそうなものは全部奪う。銀行には、30万円くらいだけ残してやって、1DKくらいの安アパートに送り込む……とか考えてて、「ああ、これはダメだ」とすぐに気づいた。

多分、堤は、すぐにタクシー呼んで、兄の家に転がり込むだけだろう。兄は堤清二、セゾングループの総裁だ。(弟だったっけな? まあ、どっちでもいいや)。兄弟仲が悪いとかとも聞いていたが、いくらなんでも、食うに困ったら助けるだろう。最悪兄弟がたすけなくても、これほどの金持ちだったら、親戚にも金持ちはいるだろう。だったら、絶対に困らないではないか。せいぜい面子がつぶれる程度だ。

よく考えると、兄弟親戚が助けなくても、なんとかなるような気がしてきた。天下の西武の社長だ。人脈も果てしない。おそらく経営能力もあると思われているだろう。そしたら、堤びいきの財界のえらいさんが、いくらでも堤のポジションくらい作ってしまうような気がする。なんせ、あのナベツネにさえ、盟友と呼ばれる人間はいるのだ。助け合ってしまうにちがいない。

つまり、堤を本当にこらしめようとしたら、関係者を全員貧しくしないと効果がないのだ。ここにいたって、「ああそうか。一族郎党全部罰するというのも、あながち非合理だとはいえないなあ」と、生まれて初めて思ったというわけです。
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by asano_kazuya | 2004-10-16 13:45 | 身辺雑記

じゃあ、なんで急にサラリーマンがカッコ悪くなくなってきたのだろう。今までは、ここ数十年で、麻野が肌で感じてきた感想だったが、ここからは頭使って書きます。

結局、サラリーマンが金を使えるようになって、使い出したのが大きいんじゃないかと思う。……まとめていおうとすると、かえって回りくどい言い方になるな。

えーと。一昔前のサラリーマンは、金がないか、あっても使い道がそれほどなかった。それが、金が余りだし、また、使い道もできてきた。もちろん、昔も金持ちの部長さんとかはいたと思うんだけど、絶対数が少ないから、金を使う世界が閉じてたんだと思う。それが、一挙に、大量のサラリーマン(特に若いサラリーマン、OL)が、そこそこの金を所持して、それを消費に使い始めた。

そう。結局は、好景気、バブルがサラリーマンの地位を上げたんだと思う。

それまでは、就職すると、仕事覚えるまでは、安月給でひいひいいって、やっと落ち着いた25歳くらいで、もう結婚。今度は子育てと家のローンで金がキチキチだったのが、結婚がおそくなり、してもDINKS。子供はいない。ちょうどバブルが近づいてきて、ボーナスもいっぱいなんだけど、家はかえって高くなりすぎて買えないから、車か、他のものに消費するしかない。

結果、日本中が、消費大国になったわけですが、そのとき、もっとも金があってつかえたのは、(若い)サラリーマン、OL。それまでカッコよいとされていた学生は、金に限界があった。バイト代も少しはよくなってたかもしれないが、サラリーマンのボーナスのすごさに比べると、微々たるもんだろう。

バブル当時、一番金持ちだったのは、会社法人だ。大企業は金にものをいわせて(というか、税金払うぐらいならと思って)、CIをやりまくっていた。企業イメージをよくするため、社屋をカッコよくした。ロゴを作り直した。

会社の景気は、波及する。景気がいいので人手不足だ。就職活動の学生をえらく優遇してくれる。新入社員は金のタマゴだ。

麻野の就職した年度は、まだバブル前夜だったから若干控えめだったが、それでも、入社式は東京湾に船を浮かべて船上パーティーとかやってた。ましてや、その1年後2年後はすごかった。学生に内定を言い渡したら、その後は、飲ますわ食わすわ旅行には行かすわ、とにかく他の会社に行かさないために、あの手この手で学生を囲い込もうとしてた。

その頃、テレビで、「内定学生、温泉研修」などという番組がよくあった。内定させた学生を逃がしたくないので、温泉に連れて行って閉じ込めるのだ。研修とは名ばかりで、遊んでるだけだけど、そんな贅沢三昧が当たり前のような時代だった。

新人の給料もすごかった。麻野は少なかったけど、証券会社とか。初年度の夏のボーナスが「うん百万円」でたとかという話が、あちこちであった。「オレの弟、証券会社はいったら、いきなり500万円のボーナスやった。こんなこと続くわけないから、ランクル買って、後は貯金した」という話が、ものすごーく「堅実」な人の話として伝わってきた時代だった。

今、思った。まさに今思ったけど、「そりゃ、ディスコもスーツしか入場させんわ!」

ああいうのって、お得意さまを差別する業界でしょう。VIPルームとか。金もってるのはサラリーマンなんだから、そのサラリーマンを優遇するには、「スーツ着て、ネクタイしてる人しかはいれない」というのが、一番わかりやすいわなあ。

学生、金ないモン。その、金のない学生は、スーツ着てない。着てるのは金持ち学生だからいれてもいい。着てるけど金なさそうなおっさんは、「カッコ悪い」ではじける。こりゃ、便利。ああ、20年近くたって、今、よくわかったよ。ああいう、お水連中は、ホントに嗅覚がするどいよ。

世の中の中心というのは、金のあるところ、使える層が、主役になっていく。資本主義社会ではそうだ。なので、バブルの頃は、サラリーマンと会社(法人)が輝きだしたのだろう。「サラリーマンは金持ってる」つまり、「サラリーマンをカッコ悪いとバカにしてたら儲からない」の図式ができた前後で、サラリーマン、そして会社というものがカッコ悪くなくなったに違いない。

ちなみに、今現在、公務員になりたがる学生、子供(!)が多いらしいが、バブルの頃は、公務員および、役所というのは、カッコよさの地位が低かった。バブル前の、ださい背広着てるサラリーマンのイメージがそのまま公務員だけに横滑りしていったからだ。

ちょうどその頃じゃないかなあ。サザンが、Yシャツに黒い袖あてをつけて歌ってたのは。あれは、ダサいのを逆手にとってギャグにしてたんだと思うが、あれは、間違いなく、町役場とか、市役所の公務員のイメージそのままだ。「指サック」を再発見して、笑いものにし始めたのも、この頃だ。

人間というのは残酷なものだ。サラリーマンがカッコ悪くなくなったら、馬鹿にする対象がなくなる。それはそれでつまらないので、「かっこわるいサラリーマン」のイメージは、スケープゴートのごとく、公務員がになわされたのだ。その頃は。
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by asano_kazuya | 2004-10-14 17:10 | 身辺雑記

サラリーマンの評価アップの変化は、まずは格好から始まった。

ジーンズ>>>>>>超えられない壁>>>>>>背広
Tシャツ>>>>>>超えられない壁>>>>>>ネクタイ

……のはすだったのが、なんかしらんが、「スーツかっこいい!」になってしまった。だいたい、もう誰も背広とはいわない。スーツだ。「スーツは誰にでも似合うからスーツというんだよ」とかいう人まで出てくるし、もうわけわかんない。

ちなみに、その潮流はどんどん激しくなり、昔は、無条件で「背広=カッコ悪い。ジーンズ=若者でかっこいい」だったのに、今だと、「本当にスタイルのいいヤツなら、ジーンズ&Tシャツもあり」だが、ちょっと「うーん……」な体格なら、「スーツ着とけ。無難にまとまるから」になっちゃってる。

その変化は、おそらくワシの就職した頃が境目になってると思う。つまり、1987年前後。この変化が起きた理由を、思いつくままいくつかあげると……

1:国産デザイナーズブランドのスーツの流行がちょっと前にあった。
2:国外の、特にイタリアのスーツが注目を浴び始めた。
3:ディスコでドレスコードが始まった。

<細かい話>
1。大学生が、「スーツもカッコいい」と認識を新たにしだした。上下買う金がないやつは、せめてジャケットだけでも着たいと思いはじめた。
2。これは体のラインが出て、それまでの「背広」と全然ちがう服だった。こういう海外の服が入ってきたのは、円高が大きいと思うが、これを含めた経済的なことは後述する。
3。当時はクラブとは言わなかった。あくまでもディスコだ。マハラジャとかそういうやつがでる寸前だ。当時、スーツを着ていないヤツは、中にはいれないと聞いて、ワシは本当に驚いた。それまでは、ディスコはジーンズとスニーカーとトレーナーだったのだ。ボートハウスとか。(それはそれで、今思うとすごい。トレーナーなんて、今なら寝巻きにしかならん)。

もっと細かく言うと、いわゆるワイシャツにも変化があった。「ピシッ」としたノリのきいたやつしかなかったのが、ワシの就職の頃は、ダブっとしたワイシャツとかがあって、それを着ていくと、会社の先輩から「若い人はいいなあ。オレもそういうの着たいよ」とか言われたのを思い出す。今思うと噴飯物だが、そういう差別化が発生するくらいのしゃれっ気が始まりつつあったのだ。確か、ワイシャツの袖をたくしあげるアイテム(名前なんだっけ? 伸び縮みするワッカみたいなのとか、パチンと留めるヤツ)も、その頃から普通に身につけ出したと思う。

格好の次は、風俗だ。セックス産業という意味ではなく、遊びなどの社会風俗。これも、サラリーマンのやってることが評価されだした。まずは、ゴルフ。次にカラオケ。そして競馬。いわゆるオヤジギャル(今は死語。これもこのころの流行語)がやってることだ。これも、3つとも昔は、ダサイ、カッコワルイと言われてたのに、流行った。

それと、アメリカから、ヤッピーという言葉が流れ込んできた。何の略かは忘れたし、面倒だから調べないが、確か東海岸の若くて金持ちのビジネスマンを指す言葉だ。これもまた、サラリーマンの地位向上に役立った。ただし、少しだけ、まだ「ジーンズ系がかっこいい」のシッポをひきずっていた。というのが、彼らは、スーツにスニーカーという格好が看板だったからだ。しかし、それぐらいの方が、移行期としてはちょうどよかったのかもしれない。次に、アメリカのITバブル当時に、次世代ヤッピーみたいなのが(名前忘れた)来たときは、もうそんなシッポもなくて、スーツの下は革靴だった。

格好、風俗、社会層。そんなこんなが総合的にからみあって、サラリーマンのイメージが、どんどんカッコよくなっていった。





※ところで、コギャルというのが、オヤジギャルの対語(親父と子供)から来てると言うのをおぼえてる人は、どれくらいいるのだろう。
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by asano_kazuya | 2004-10-14 16:45 | 身辺雑記
芥川龍之介の短編。以下、適当なあらすじ。

平安時代末期。都はさびれまくり、飢えと犯罪が蔓延している。一人の下人(身分の低い男)が、食い詰めてはいるが、泥棒する踏ん切りもつかないでいた。雨宿りに羅生門の屋根裏にあがると、死体の髪をぬいて鬘を作ろうとしている老婆がいる。老婆いわく、「この、髪を抜いてる女は、生きてるうちはサギで生きていた。非道徳という意味ではこの女も同じだ。ワシが髪を抜いても、怒りはしまい」。それを聞いた男は自分の中でふんぎりがついて、「ならば、ワシがこうしても、かまうまい」と老婆の着衣をはぎとって去っていく。


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「ベストセラー本ゲーム化会議:アフターダーク編」の脚注です。
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by asano_kazuya | 2004-10-14 11:57 | BGK
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」という小説に出てくるアイテム。たしか、小説の中では、一角獣の骨だか、頭蓋骨という言い方だったと思う。ラストシーンは、これが○○って、なかなかかっこいいのだ。


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「ベストセラー本ゲーム化会議:アフターダーク編」の脚注です。
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by asano_kazuya | 2004-10-14 11:57 | BGK
80年代に日本の演劇界に小劇場ブームがあった。つかこうへい事務所、夢の遊眠社、第三舞台、劇団3○○、赤テント、黒テントなど。

上にあげた劇団、全部が全部じゃないけど、その頃の芝居って、深読みを強いるものが多かった。

押入れをあけると、月にいってしまうとか、井戸の中にヨーロッパイがあるとか。額面どおりに受け止めると、意味不明。ただ、おもしろくないわけではない。芝居を見てるときは、役者の肉体があるせいか、つながってみえる。巧妙な演出も大きかったと思う。逆に言うと、脚本だけを読んでると、わかりづらい。

あまりいい言い方じゃないけど、右脳で観るとおもしろいけど、左脳を働かさないと意味がとりづらい芝居だった。

芝居は芝居でおもしろく、あとで評論家の書いたものを読むと、「ははあ、そうかあ。井戸というのは、心理学でいうイドのことだったのか」とか、「押入れは体内回帰と考えたら、他のこととつじつまが合うんだ」などと意味がわかって二度おいしい。

ツインピークスとか、エヴァンゲリオンみたいなお芝居ともいえるかもしれない。これらの作品も、シンボリックだけど意味不明で、いくらでも後から解釈可能なシーンがけっこうでてくるから。



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「ベストセラー本ゲーム化会議:アフターダーク編」の脚注です。
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by asano_kazuya | 2004-10-14 11:57 | BGK
この話は、ほとんどの人が知ってるだろうが、色々思うこともあるので、一応書いておきます。脚注というよりは、麻野の感想です。

宅間守は、有名な連続殺人の犯人。小学校にいきなり乱入して、刃物を振り回して、何の関係もない子供を何人も殺傷したという無茶苦茶な事件。ここまでは誰でも知ってると思う。

その宅間守。犯行当時は独身だった。ところが、牢屋に入れられた後で、宅間に求婚する女性が出てきた。宅間はそれに応じて結婚した。結局宅間は死刑になったが、記者会見を開き、「夫が罪を悔いるまで時間がもう少し欲しかった」とか、「手紙などで、色々諭したが、力が足りなくて悪かった」などとコメント。

……よくわからないんだよなあ。

まず、なぜ結婚するのかがわからん。普通、結婚って、たがいに将来を……いや、結婚観は人それぞれか。人によって結婚の意味って違うから、まあ、置いておくか。
求婚するのもよくわからんのだが、これも人にはわからない同情とかがあるかもしれないから、置いておく。

でも、どうしてもわからんのは、処刑後のコメントだ。

結婚してからの犯行だったら、わかる。家族としての責任を感じることもあるだろう。しかし、この人、犯行時は赤の他人だ。また、たとえば、国から「処刑までに罪の意識を持たせろ」との命を受けた神父が、こういうコメントをするなら、まだわかる。しかし、この女は、勝手に結婚しただけだろう。なんで謝るのか?

この女がコメントしているとき、各新聞社の記者はどういう印象を受けたのだろう。別に何も思わなかったのだろうか。非常に気になる。

ワシの率直な感想だが、この女は責任ないだろう。なのに、勝手に責任感じてて、わけわからん。何か、宅間を真人間にもどすことに使命感を感じて結婚したんだろうか? しかし、そんなもん、禁煙を誓った親父が「3日でダメでした」というのと同じで、勝手にやって勝手に後悔するべきもので、他人に謝るようなもんでもなかろう。

責任というのは、ある種の「義務」という印象があるが、ある意味、「権利」でもあるのではないのかと、今回改めて思った。この人、責任感じる権利あるのか? それこそ親父の禁煙と同じで、自分自身に対しての「責任」というのは、ちょっと言葉のアヤっぽいのを置いておいても、まだあるかもしれんが、他人にはないだろう。

ちょっと前に、イラクの人質問題で、自己責任という言葉が注目された。今回は、誰もそんなことをいわないが、ワシは、この獄中婚した女のコメントで、責任という行為や意味が、日本人の中で、なにかねじれてきているのではないかとの印象を受けた。そんな風に思うのは、ワシだけなのかな。


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「ベストセラー本ゲーム化会議:アフターダーク編」の脚注です。
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by asano_kazuya | 2004-10-14 11:56 | BGK