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一万円のことを「一万円」とはいうが、「万円」とはいわない。しかし、千円は、強調の意味をこめて、「一千円」ということはありうる。「千円」でも「一千円」でも、そんなに違和感ない。

百円になると、万とまったく逆で、「百円」といっても「一百円」とはいわない。まあ、それでも、無理やり強調していうくらいなら、あってもいいと思う。たとえば……

「えーと、お釣りいくらですか?」
「もにゃ円です」(うるさくて聞こえなかった)
「え? いくら」
「もにゃ円です」(やっぱり聞こえない)
「聞こえない!」
「いっぴゃく円です!」

……正直、無理やりな気はするが、あってもいいと思う。

しかし、十円を「一十円」というのは、ものすごく抵抗ある。存在自体許されない。許したくない。さらに、「一々円」にいたっては、もう、なんだかわからない。

上のケタを考えると、「億円」というのも、発言した途端、相手に「は?」と聞き返されるだろうし、「兆円」だと、絶対に「腸炎」としか聞き取ってくれないだろう。


思うに、身近な数字ほど具体性が増すので、数字としての「一」というのを頭につけることに抵抗があるのだろう。語呂のよさもあるかもしれないけど。

ちなみに、英語だとどうか。

"one ten" とはいわないが、"one hundred" はいう。「一百」というのが通常の表現なわけだ。ここで、百にたいする受け止め方の差が、英語と日本語にあることがわかる。英語の方が、日本語より、百のことを「とっつきにくい抽象的なヤツ」と考えてるのだろう。

あるいは、一ドルがだいたい百円くらいという相場に関係するのか。

すんません。話にオチないです。終わり!
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by asano_kazuya | 2006-01-19 14:12 |
 昔に比べると、人前で話すのが、それほどには苦ではなくなっている。10代、20代の頃はすごく苦手で緊張したが、最近はそうでもない。年のせいでずぶとくなったか、無神経になったかと思っていたが、さっき、別の原因もあるかもと思いついた。それは留守電だ。

 留守電が普及し始めた当初、機械に声をふきこむことにすごく抵抗があった。それがイヤなので、そのまま切ることもあった。

 電話をかける相手というのは、たいていは知人だ。その人との会話のテンポや間を思い出しながら、掛け合いのつもりで電話すると、留守電は非情にも、そんな自分にいきなり小さな独演会を強いる。電話の前で固まる。勇気がいる。「えーと」とか「うーん」という、一拍もいる。留守電は、「改めて話す」ことを強いる機械なのだ。

 そんな、「改めて話す」ということを、日常的にやってるうちに、なんとなく人前で話すことも、慣れてきたのじゃないかと、さっき、ふと思った。
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by asano_kazuya | 2006-01-13 19:14 | 身辺雑記
 中学の時に「2001年宇宙の旅」を観た。冒頭の猿が骨を放り投げるシーンがとても印象的だったのだが、そこで使われていたのが、シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」という曲だった。1回聞いたら、二度と忘れないインパクトがあった。ただ、映画ではほんとうにちょっとしか流れなかったので、ぜひ全曲聞きたいと思った。

 しかし中学生のことだ。金がない。それにクラシックという時点で敷居が高く、なかなかレコードを買うまでにはいたらなかった。そんなある日FMでこの曲が流れると知った。その日を心待ちにし、エアチェックの準備も整え、ラジカセに向かった。

 曲が始まると、それがいきなり、「映画のそのシーンに流れていた箇所」だった。わくわくした。思わず幻の指揮棒をふりそうになる。はじまりがこれだけすごいなら、中の方ではどれほどすごい曲なのか。期待はふくらんだ。

 ところが、しばらくするとなんだか単調な曲に変わってしまった。

 で、そのまま。
 正直言って、退屈。

 15分くらい耐えていたがそれが限界だった。しょうがないので、マンガ読みながら聞き終えた。結局、最後まで退屈だった。すごかったのは最初だけだったのだ。がっかりしながら、レコードを買わなくてよかったと心底思った。

 しかし、中学生というのは自分に自信がない。この曲のよさがわからないのは、自分にクラシックを聞く素養がないからだと思い込んだ。それから30年……。

 この正月、岡田暁生著「西洋音楽史」を読んだ。そこに、「ツァラトゥストラはかく語りき」のことが書いてあった。以下、引用する。


 「重装備を施されたマンモス・オーケストラで聴衆の度肝を抜く音楽」の代表といえば、何といってもシュトラウスだ。(中略)19世紀音楽の大きな特徴である「ハッタリの原理」を、彼はあからさまに前面に押し出してくる。
 (中略)
 曲が始まったら即座に聴き手の心をつかんでしまおうとするのが、シュトラウスである。つまり彼はクライマックスを一番最初にもってくる(ひらたくいえば「最初の一撃でハッタリをかます」)傾向があるのだ。その典型が交響詩《ツァラトゥストラはこう言った》(1896年)(中略)である。これほど圧倒的な曲の始まりが書けた作曲家はシュトラウス以外にいない。だが――結局のところ一番「スゴイ」のは最初なのだ。いつまで待っても、怒涛のような冒頭を凌ぐクライマックスはもう現れない。それどころか、曲が先へ進むにつれて冒頭の力の漲りは徐々に徐々に萎えていき、最後は諦念の中で消えるように曲が閉じられるというのが、シュトラウスの多くの作品の特徴である。


 「そうか! 中学のときの感想は、的外れじゃなかったんだ!」
 そう思い、新年早々、ちょっとうれしかったのです。

 みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしく。
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by asano_kazuya | 2006-01-03 16:04 |