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知人から車を譲ってもらうことになった。駐車場はニョーボが色々探してくれて、不動産屋で契約もすましてくれた。そこまではいいのだが、帰宅してから少々妙なことをいう。

「車庫証明をもらって、また来いと不動産屋が言った」というのだ。なんでそんなことを言うのか。確かに車庫証明は必要だが、こっちの問題であって、不動産屋には関係ない。

電話して、「勝手に取るから」というと、「それには貸主の承諾書を作る必要がある。その承諾書用の紙が警察にあるので、持ってきて欲しい」という。なるほど、紙が必要というのなら、まあ、わからないでもない。

しかし、それでもまだひっかかる。今までにも何度か車庫証明をとったことがあるが、そんなもの作ってもらった覚えがない。しかも、作るのに千円かかるという。そんな金もはらったおぼえがない。住んでたところが違うせいか?

とりあえず、面倒なことは早めにやってしまった方がいいと思い、すぐに警察に向かった。土曜だったので担当の人はいなかったが、書類そのものは手に入った。確かに書類の中に承諾書というものがある。それを持って、次は不動産屋に向かう。

不動産屋はすぐ近くだった。承諾書はすぐに作ってくれた。千円払う。他にも、地図をコピーして貼り付けてくれるなど、やけに親切。、「こんなことまでやってくれる不動産屋ははじめてだ」というと、「サービスです」とのこと。次はまた警察だが、土曜日は受け付けないので、後日行くことにする。




火曜日、警察に行くと、麻野と同様、車庫証明を取りに来たおばさんが係の人と話しこんでいる。聞くでもなく聞いてると、係の人が、「この貸主の承諾書というのは、契約書の写しでもかまわないから」と言うのが耳にはいった。

え? そうなの?

だったら、千円もいらない。コピー代10円ですむ。おばさんがいなくなってから確認すると、確かに契約書のコピーでいいという。あと、話の本筋とは関係ないが、車検証のコピーもいるという。

不動産屋にだまされたのだ。やはり、自分の記憶の方が正しかった。それにしても、念がいっている。「勝手に作る」といってるのに、「それは無理だ」とまで言ったのだ。

どっちにしろ、その日、用があってもう一度不動産屋に行くことになっていた。不動産屋に行って、当初の用事をすまし、話を切り出した。

「今、警察で聞いたんですが、この承諾書って必要ないんですって?」

相手は最初、「そんなことはない」と抵抗した。何枚かある書類のうち、「この紙は確かに不要です。これのことをいってるんじゃないんですか?」といわれて、少し不安になる。しかし、いきなり引き下がるのもしゃくなので、のんびりとした態度でいく。

そのうち、「契約書のコピーだと、ウソがかけるじゃないですか」とかワケのわからないことを言い出す。「コピーして、日付かえるとか」というのだ。できるかもしれないけど、その時点で犯罪だから、理由になってない。それにそれをどうとるかは警察の問題だ。その上、「この承諾書を作るのに、駐車場代ひと月分とる不動産屋もあるんですよ」などと言い出した。

ありえない。

適当にあいづちを打っていると、やがて、「本当に必要ないなら、金は返す」と言いだした。

念のため、もう一度確認した方がいいと思ったのと、「金を返してくれ」といったとたん、何枚かある書類を全部破棄されたりしても書き直すのが面倒なので、とりあえずは、「もう一度警察で聞いてくる」とその場は退いた。

で、警察に行くと、やはり不要だという。破棄されてもすぐに書きなおせるよう、今ある書類のコピーをとって、不動産屋にまたもどった。腹は立つが、後々のこと(更新のときにまた世話になる)があるので、あまり事を荒立てるのもどうかと思い、金だけ返してもらって穏便にすませた。

で、まあ話の本筋はこれで終わり。なんかせこい商売だなあと思ったわけです。
以下はその後の話し。

警察に行くと、今度は車検証の名義が古いままなのでダメとのこと。(コピーする前に教えてくれよ……)

まずは名義を変えるために、品川の軽自動車検査協会に行かないといけない。

事前に必要なものを聞こうと検査協会に電話するが、ずっと話中。サイト見ても、要領を得ない。数時間にわたり、5,6回目のトライで、やっとつながったら、前の持ち主の印鑑がいるとか。(そんなのサイトに書いてないよ)。逆に、サイトに必要だと書いてる自賠責の書類は不要だとのこと。それに、住民票をとりに、まずは区役所いかないと。

ああ……車庫証明、いつになったら手に入るんだ?
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by asano_kazuya | 2006-05-22 17:59 | 身辺雑記
a0016446_1945921.jpg文芸春秋6月号で、おもしろい記事があった。

竹下節子さんという方が書いた『「ダ・ヴィンチ・コード」四つの嘘』という記事。

誰もが知ってると思うが、この「ダ・ヴィンチ・コード」という本は世界的に売れていて、映画にもなった。麻野たちも、去年、ベストセラー本ゲーム化会議で、仮想ゲーム化させてもらった。

この本は、「レオナルド・ダ・ヴィンチの謎を解いていくと、バチカンが隠し続けてきたキリスト教の秘密がわかる」といった、歴史ミステリーだ。もちろん、あくまでもエンターテイメントで、史実とかそういうのは、いい加減。暗号の専門家が、アナグラムになかなか気がつかないとか、ツッコミどころも満載。

批判的に本を読む習慣のある人が読めば、あくまでも「お話」とわかるのだが、信じやすいタイプの人間だと、本気にしてしまうかもしれない。この記事は、「レオナルド専門家として、一応クギさしておきますよ」といった内容。詳細は本文を読んでもらうとして、抜粋する。

まず、ダ・ヴィンチ・コードはこういってる。

1.キリスト教は女性原理(ギリシャ・ローマにみられる女神など)を隠してきた。
2.イエスはマグダラのマリアと結婚していて、その子孫がヨーロッパの王家の血筋になった。
3.上の二つの秘密を守るために修道院が作られて、そのリーダーのレオナルド・ダ・ヴィンチは、自分の絵やタイトルにそれとなく隠した。
4:これらのことがばれるとやばいので、バチカンは必死で隠している。


で、竹下さんは、こういってる。

1.キリスト教は女性原理を隠してない。マリア信仰がそのいい例。
2.イエスとマリアの結婚に証拠はない。その子孫がヨーロッパの王家の血筋というのも根拠ない。
3.もとから隠す気などないので、バチカンはなにも困らない。そもそも、イエスは人間と神の両方の属性を持っているというのがバチカンの教義。人間の方のイエスがなにをしようとも、神の部分には関係ない。
4.つーか、キリスト教にまつわるオカルト系の話は山ほどある。源義経がジンギスカンになったというのと同程度の話。それを本気にした(のか確信犯なのかわからんが)のが、作者のダン・ブラウン。


キリスト教関係のトンデモ本の源流は、ルネサンス知識人をはじめとするヨーロッパの人々の「お遊び」だったようだ。どうも、アメリカ人のダン・ブラウンは、その辺のヨーロッパ人の「ネタ」がわからず、マジで(なのかワザとなのか)釣られたという構図。


ブログのネタにさせてもらったので、感謝の意味をこめて、竹下さんの本の紹介をしておく。
『レオナルド・ダ・ヴィンチ――伝説の虚像』(中央公論社)。ちなみに、麻野は読んでません。
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by asano_kazuya | 2006-05-14 18:47 |
先日の朝日新聞より、東京キッドブラザーズの劇作家・演出家の東由多加の言葉。

「死ぬことは恐ろしくも悲しくもない。恐ろしいのは、死んでしまったような生き方だ。」

これを見て、世間には色んな人がいるものだと、つくづく思った。麻野は、まったく逆だ。死ぬことは恐ろしいし悲しい。そして、死んでしまったような生き方にはむしろ羨望を憶える。

死んでしまったような生き方というのが、寝たきりとか認知障害とか、あるいは激痛や極度の疲れ、病気などで、毎日がつらいというのを意味するのなら、そんな生き方はたしかに御免こうむりたい。しかし、日々ダラダラと、非生産的だが退屈もしてないというような生き方をさすのなら、それこそが理想的な人生だ。

ある人生を形容して、「熱く駆け抜ける」というような言葉がある。そんな人生、考えただけでため息がでる。しんどい。できたら、「ぬるい散歩」のような人生を送りたい。「俺の生き様」とかいうような、熱い鉄の棒を振り回すような毎日はゴメンだ。「日々の営み」というような淡々とした生活がいい。「生き急ぐ」のではなく、「死に遅れる」というのがいい。

ちなみに、東由多加という方は、すでに亡くなられている。おそらく、生き生きとした人生を送られ、後悔のない死に方をされたのだろう。それはそれでうらやましい。どんな生き方を望むかは人それぞれだ。麻野も、死ぬときに恐れや悲しみがなく、かつ悔いのない気持ちで安らかに死にたい。

最近、もっとも欲しいのは安楽死の薬だが、このことを書くと話の主旨がずれるので、それはまた別の機会に書く。
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by asano_kazuya | 2006-05-13 15:08 | 身辺雑記