日経オンラインのコラムを読んだ。とても同感する。
以下、同感した部分を引用する。
ついでに申せば、世の経済通や専門家を、私はあまり信用していない。
というよりも、彼らについて、どう判断して良いのやら、いつもわからなくなるのだ。
わからなくなる理由は様々だ。
「この人は本当にわかっているのだろうか」というふうに、能力や見識を疑う場合もあるし、「本気で言っているのか?」と、真意ないしは誠実を疑う場合もある。いずれにせよ、彼らの話を私は割り引いて聞く。他の分野の専門家が自分の分野について語る時には、一定の敬意を持って耳を傾ける。でも、経済は別。あまりにも混乱しているから。
たとえば、経済の専門家が何人か集まって議論をする。
と、同じひとつの問題について、まったく異なった見解が論者の数だけ並ぶことになる。
ある学者は財政出動が急務だと言い、別の評論家は赤字国債に頼るべきではないと言う。さらに別の元経済官僚は日本経済の底堅さを強調し、ゲストのマダムは雇用の確保こそが何よりの緊急課題だと言う。
彼らは、それぞれにもっともなことを言っているように見える。
でも、主張はまるでバラバラだ。というよりも、全員の話をまとめると完全に支離滅裂な施策になる。
ということはつまり、集まった専門家のうちの、一人を除く全員か、でなければ全員が的はずれなことを言っていることになる。なんたるカオス。
麻野も、ここのところ経済の専門家の本を読んでいる。
しかし、読めば読むほどわからなくなる。
上記コラムの執筆者の小田島氏も「
問題なのは、正式に勉強したわけでもなく、必死に考えたことさえない分野について、思いつきで安易に言及する態度だ。これはいましめねばならない。そう思うから、私は当件について、経済通っぽい発言を控えている次第だ。」と言っているので、麻野なんかが経済についてはなにも書かないほうがいいのだろうが、どうせこんなブログ、読んでる人も少ない。だから、備忘録の一種として書いておく。
昨今の経済状況において焦点はいくつかあるようだ。
・財政政策、主に公共投資の是非
・金融政策の是非
・インフレターゲットの是非
・円高の是非
・民主党のばらまき政策の是非
他にもあるが、おおまかにはこんなもんか。
それぞれに、「やるべき」「いや、意味ない」「むしろ害」という意見があって、さっぱりわからない。
たとえば、公共投資。
これだけ景気が冷えてるなら、国が景気の火付け役として仕事をつくる必要がある。雇用も増えるし、金が回り始めるというのが、公共投資推進派の意見だ。
それに対して、「いや、公共投資だけやっても意味がない。金融緩和もセットにしないといけない」という人たちがいる。
また、「公共投資はムダと利権の温床になる」と毛嫌いする人もいる。それに対して、推進派は、「ムダとか利権とか言ってる場合じゃない。まずは景気をよくしてからだ」と反論する。すると、「そもそも、政府がお金をだす対象を決めるのがおかしい。それでは社会主義だ」との反論があがる。「そもそも乗数効果なんかないに等しいから、偏った業界に金ばらまいてるのと同じだ」とも。
そろそろ、なんだかわからなくなる。
インフレの話もそうだ。デフレはあまり好ましくないというところまでは、大方一致しているが、インフレにしようという派と、意図的にインフレにはできないという派がいる。これは前例がない試みだそうで評論家も二分されている。素人の麻野には判断しようがない。
そう。インフレターゲットなんかもそうだが、「是非(いいかわるいか)」と、「可否(できるかできないか)」は別の話だ。たとえば、公共投資ならやろうと思えばできるだろう。賛否両論あったとしても。
しかし、円高はどうだろう。
たとえ円高が好ましくないと言っても、円高をとめられるものか。
もちろん、ドルを買って円を売るなどの為替介入はできなくはないが、一国だけでやっても焼け石に水だ。
欧米や中国の協力を求める必要があるが、今のところとても否定的だ。
そもそも、円高といってはいるが、実質的にはまだ円安だという学者も多い。もっと円高が進んでもおかしくないというのだ。もし、これが本当なら、円高はもっと進むことになる。で、これに関しては、麻野もなんだかそんな気がする。素人なんで、なんとなくでしかないのだが、他の国に比べたら、まだまだ国力があるから、円高が進みそうに思えるのだ。
まあ、なんでもそうだが、不自然な状態は長い目で見ると是正される。となると、円高はまだ進むだろう。そうなると、輸入品は安くなるから、またデフレになるだろう。
円安希望とか、インフレになってほしいとか。気持ちと裏腹に、実際は、どんどん逆になりそうだ。
そうなると、産業構造の変換しかないのだろうなあ。もっと内需型になって、もっとサービス業がふえてという。しかし、これが大変だ。みんな、仕事変えなくちゃいけない。倒産する会社はまだまだ増えるだろう。
麻野が生まれてから、「今が日本の転換期」というコトバは、もう何度も何度も何度も聞いてきた。「第二の幕末」などという言い方なんかもそうだ。新聞もテレビも本も、評論家も、いつでもそんなことを言っていたので、ずーっと本気にしてなかった。
しかし、ついにここに来て、それらしきものが起きているんじゃないかという気がしてきた。
もちろん、国難としては、戦争に負けたときに比べたらたいしたことないだろう。あっちの方が、どう考えても壊滅的だ。
しかし、産業構造をおもいきり変えないと生き残れないという意味では、ついに「第二の幕末」になってきたのかもしれない。今まであまりそういうことを思ったことのない俺も、だんだん思いかけてきた。
単に、年取ってきたから、ものごとを受け止める柔軟性がなくなってきただけかもしれないが。