a0016446_1836115.jpg「ポスト・ヒューマン誕生」という本があまりにおもしろく、興奮して夜も眠れない。
とりあえず文章にすれば気がおさまるかと思い、レビューを書いた。

それから色々あって、NBオンラインの「超ビジネス書レビュー」に掲載されました。
これ読んで興味を持った人は、是非、本のほうも読んで欲しいです。
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# by asano_kazuya | 2007-08-08 10:29 |
今日、歯医者で歯の神経を抜いた。

中学のとき歯の神経を抜いたら、その夜七転八倒の苦しみを味わった。それから、「神経を抜く = 晩のた打ち回る」が麻野の中で鉄板の法則になった。

今回痛んだ歯は、2ヶ月前に治療した歯だ。だいぶ神経に近いところまでけずったので、治療後は痛む可能性がある。そのときは神経を抜きましょう。そう医者から予言されていたら、あんのじょうそうなった。普段はいたくないのだが、温度差がしみるのだ。最初は氷水とか熱いスープが沁みる程度だったのが、昨日あたりは、水道水でも沁みるようになった。ぬるいコーヒー飲んでもうずく。そうなるとメシが苦痛になる。

とはいえ、健康な神経を抜くのはいやだ。だから、金属をセラミックにかえるなど、詰め物を熱伝導率の低いものにかえれば対処できないか。よし、それを相談しようと、歯医者にいったのだ。

しかし、歯医者の診断は無情だった。もう炎症が始まってるので、そんなことしても意味がないという。麻野は今晩の地獄を恐れた。「覚悟の時間をください」と医者に乞うた。「10分くらいならいい」といわれ、「いや、2,3日は欲しい」というと、「炎症がひどくなると余計つらいですよ。麻酔効かなくなりますから」と、麻酔の効かない患者の悲惨な治療風景を教えられた。

観念して、今晩どれくらい痛いか聞いたら、痛くないという。治療後は、風呂も運動も酒も問題ないという。中学時代の話をしたら、それは、治療時に神経を抜ききれてなかったからでしょう、という。

治療はあっという間に終わった。何も痛くない。そして今も痛くない。麻酔のせいで唇は麻痺してるが、今からフットサル行って、酒のんで来る予定だ。俺のあの中学の地獄の一夜はなんだったんだ? 単にヤブ? それとも、やはり今夜苦しむことになるのだろうか・・・・・・。
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# by asano_kazuya | 2007-07-28 14:01 | 身辺雑記
a0016446_18293669.jpg新しい本出しました。

『スピンドル式 鍛えない脳』(しょういん 米山公啓監修)

脳についての本(『海馬』/池谷裕二、糸井重里 『脳と仮想』茂木健一郎など)を読みながら、漫談してる本です。

その刊行を記念して、来る6月2日(土)(於/青山ブックセンター本店 午後3時~ 参加費500円)、著者3人(麻野一哉、飯田和敏、米光一成)によるトークライブを行ないます。

お時間のある方は、是非お越しください。
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# by asano_kazuya | 2007-05-22 13:28 | BGK
「ナウなヤング(死語)」という言葉がある。この言葉、おもしろいことに、生きてたときより死んでからの方が寿命が長い。「ナウなヤング」は死語だが、「ナウなヤング(死語)」は現役だ。

確か麻野が高校生くらいのときにできた言葉だと思うが、そもそも「ナウな」ではなく、「ナウい」だったはず。形容動詞ではなく形容詞だ。ところが、いつの間に「ナウな」になっていた。そっちの方が、より野暮ったくて、「(死語)」をつけるにふさわしいということか。

この「ナウい」が、当時世間でどういう受け止められ方をしていたかというと、まあこんな感じだ。(以降、すべて麻野の独断と偏見に基づく)

1:都会の若者が使う、先端の言い回し。憧れ。
2:「若者言葉の乱れも、ついにここまできた。英語に「い」をつけるなんて、無茶もいいとこ。」という良識的な大人の嘆き。
3:なんとなく座りが悪い。
4:アホか。(鼻で笑う)

3と4のは、まあ同じようなもんか。で、数字としては1が0.5%、2が10%、3が90%だ。まあ、ほとんどの人がとまどっていた。

「ナウい」の歴史はこんな感じだ。きっと。

1:たまたま東京で、「ナウい」という言葉を使った若者がいた。それが8割の「バカバカしさ」と、2割の新しさで少しだけその周辺のグループで流行った。
2:それを聞きつけたマスコミが、大々的にあおった。オッサンは嘆いたりあきれたりして若者を攻撃するネタになった。
3:あまりに座りの悪い言葉なので、実際はほとんどの人間が本気では使わなかった。
4:あっという間にすたれた。

当時、関西にいた麻野の仲間内で、この「ナウい」という言葉を日常使う人間はいなかった。ただ、露悪的に、あえて使うことはあった。そのときは、ニヤニヤしながら、今からすごく恥ずかしい言葉を使うぞという雰囲気を満面に漂わせながら、「おお! ナウいのう!」とあえてオッサンくさくいうのだ。今で言うと、受けないのをわかっててあえてそれを逆手にとって、親父ギャグを言うノリといおうか。あるいは、「それってなに? ナウい……とかいうやつ?」みたいな思い切り腰の引けた言い方をした。関西圏以外でどう受け止められてたかは、知らない。

逆に、もしも日常会話で、スラッと「ナウいね」なんていおうものなら――たとえば、こんな会話があったとしたら、

A:ほら見て。新しいウォークマン買うたんや!
B:うわ! ナウいやん!

おそらく、Bは言語センスを疑われて、もう誰からも口を聞いてもらえなくなったであろう。そういう意味では地雷のような言葉だった。

だから、「ナウい」の寿命は短かった。高校のころに「そんな言葉がある」と知って、、20歳のときはすでに「なんだかしらんが、ちょっと前に流行った(というか、流行ったとマスコミが言ってた)言葉」になっていた。おそらく、寿命は5年もなかったと思う。

本来ならそのまま消えるはずの言葉だったんだと思う。「チョベリバ」とかと同じような運命だったはずなのだ。

ところが、それからしばらくして、全然関連のない話だが、「死語」という言葉が流行った。「死語の世界」とかいう本まで出た。

この「死語」という概念は新しかった。「ナウい」という言葉の「新奇さ」とは比べ物にならない、本質的な「新しさ」があった。というのが、それまで、「流行りモノ」というのは、新しいものばかりだったのが、この「死語を楽しむ」というのは、「後ろをむいて楽しむ」、「過去を笑う」という点で、今までにない感覚だったのだ。

ちなみに、この「死語」ブームの前にも「レトロ」ブームというものがあったが、こっちは、今の「昭和30年代ブーム」に近くて、割りとマジメだった。その分、つまらない。「死語」ブームの方が、色んな意味でラジカルだった。というか、もう立派に普遍性を持ってる。今でも、中途半端な死語をあえて口にするのは、飲み屋での話題としては十分楽しい。いかに中途半端な死語を発するかかと言うのは、素晴らしくセンスが問われる行為だからだ。

その「死語」が、「ナウい」とくっついた。まさに、その「死語」ブームの中で、ちょうどピッタリ「死語感」が合ったのが「ナウい」だったのだ。

最初に「ナウい(死語)」という言葉を目にしたとき、麻野はひどく受けた。大笑いしたし、「うまいこというなあ」と感心した。やがてこの言葉は一大ブームとなり、そのうち、書き言葉ではなく、口で言うときも「ナウイ、カッコ死語カッコとじる」と神経症的に言うくらいに流行った。さすがに今では手垢にまみれてしまったが、今でも、「ナウイなあ、カッコ死語」というヤツは、まだいる。もうええ加減にせえよと思うが、まだいる。まったくナウくない話だ。

で、おもったんだけど、なんで、「ナウい(死語)」がこんなに流行ったかというと、相反する理由が二つ考えられる。

一つは、みんな、心の底では「ナウい」という言葉が大嫌いだったのだ。嫌いだったんだけど、流行ってるし若者の言葉としてもちあげられてるので、おおっぴらに嫌うこともできない。そんなとき、「ナウい(死語)」と言う言葉が発明されたんで、喜んでバカにする意味で使い出した。

もう一つは、みんな、心の底では「ナウい」と言いたくて仕方がなかったというもの。言いたかったんだけど、あまりに新しすぎて恥ずかしかった。その照れ隠しを、「ナウい(死語)」が担ってくれた。

とまあ、矛盾する二つの理由だが、人によってどっちかが正解だったんだろう。そして、それに「ヤング」がつき、完璧になった。

「ヤング」はもう、あまり言及する気はないが、確かに、「死語」ブームの頃、きっちり「死語」になっていた。服屋で「ヤングもの」という言葉として生きてるのが精一杯だった。つーか、「服屋」という言葉も死語だな。そういえば、この前、青山あたりを歩いてて、「うわー、この辺、服屋ばっかりやなあ」と声をあげて、周りの女子から「おっさんくさ!」とバカにされたのを思いだした。今はブランドショップというらしい。はあ……。
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# by asano_kazuya | 2007-03-27 12:32 | 身辺雑記
驚いた。

コメントやらトラックバックやら、知らん人のが多すぎる。
とりあえず、今年のトラックバックに関しては掃除した。

あとは、ボチボチ手を入れていくことにします。

このブログ、どうしたものかと思うのですが、ときどき、仕事のことでマジメにコメント書いてくれる方がいるので、少しは利用価値があるのかとも思ってます。

そういう意味もふくめて、もう少し、マメに手入れするようにします。
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# by asano_kazuya | 2007-02-20 00:52 | 身辺雑記
漢字には訓読みと音読みがある。

音読みしかないものは、中国からはじめて入ってきたものだ。だから、「茶」には訓読みがない。逆に、両方あるものは、もともと日本にもあったものだ。日本で「やま」と呼んでいたものにたいして、「山」という字が「サン」という音とともにはいってきた。

で、最近の疑問。

「寺」は訓読みで「てら」という。しかし、中国からはいってくるまで、日本に仏教はなかったはず。それまで、「てら」と呼ぶものがなにかあったのだろうか。
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# by asano_kazuya | 2006-12-26 18:02 | 身辺雑記
最近、脳関連の本を仕事で読むことがあって、それで、いろいろ得心したことがあるのだが、その中でも、「ほほう」と思ったのが、「思考のほとんどは意識的になされるものではない」ということだった。

これは、悩み事や心配事を例にするとわかりやすい。「よし、心配しよう!」と意識して心配する人はいない。気がつくと、「あいつ遅いけど事故でもあったのか」とか、勝手に心配してる。そして、同様のことがそういったネガティブなことだけでなく、ニュートラルなことやポジティブなことでも成立する。今、こうやって書いている文章も、意識的に思考してるのではなく、心に浮かんだことを、ただ文章にしているだけだ。脳の一部分が勝手に動いていて、あとはそれの奴隷だ。

意思なんてものは、たいした主人公じゃない。たとえばこの文章書いてる状態で、意思にできることは、書くかやめるかの判断をする程度だ。書くかやめるかは決められるが、書く内容を決めたり、書く内容を思い浮かべるのは、オレの意思にはできない。

中国のことわざに、「馬を水場に連れて行くことはできるが、飲ませることはできない」というのがある。これと一緒だ。「さあ、仕事をしよう」と机に座ることはできる。なるべくそっちを考えるようにもっていくこともできる。しかし、思考は、自分からははじめようがない。頭が勝手に回転するのを待つしかできない。

新しく慣れない概念を学習するときは、相当意識的に集中して思考しないと、頭に入らない。たとえば中学のとき、イオンについて勉強したときがそうだった。なかなか理解できなくて、きつかった覚えがある。そういった学習なら、まだ、そういう「オレの思考よ。こっちこいよ!」ができる。しかし、何かを創造するときは、どうしていいかわからない。とにかく、頭が勝手に動き出すのを待つしかない。

これは、怖い。予定が立たないのだ。仕事が予定通り終わるかどうか、さっぱりわからない。しかし、怖いがしょうがない。でないときはでないんだ。なにも。

でもって、机の前にいても頭が動くとは限らないので、歩き回る。今日も家から渋谷まで歩いた。しかし、歩きながら、「オマエさぼってるんじゃないか」と、余計な罪悪感がオレをさいなむ。つらい。でも、どうしたってダメなんだ。

幸い、今まで、それが理由で予定を大幅に遅れるようなことにはなっていない。しかし、いつか、頭がまったく動かなくなって、何もできなくなる日が来るのではないかと、おびえている。
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# by asano_kazuya | 2006-11-29 23:56 | 身辺雑記
モノポリーなど、ボードゲームをレンタルするビジネスを思いついた。評判をよぶかどうかはとりあえずおいておいて、実現するとしたら、こまごました備品が多いので、ちゃんと返却されたかどうかのチェックが課題になる。これはけっこう面倒くさい。

でも、ICチップがあれば問題は解決する。すべての備品にICチップが搭載できれば、一瞬でこういう備品の有無が判別できる。

で、まあ、思ったのだが、ICチップの実用化で、今までしづらかったもののレンタルが一挙に実現するようになるんじゃないだろうか。少なくとも、レンタル事業そのものが楽になる。たとえば、ツタヤでDVDの返却のチェックはバーコードを読み込んでしているが、あれも、センサー箱に放り込むだけで認識できるだろう。

学校での「持ち物検査」も不要になる。持ってきてはいけないものが、教師による目視ではなく、校門でのセンサーチェックでわかってしまう。

いいことわるいことひっくるめて、管理が容易になる社会が実現するように思える。携帯電話の電波が届かないリゾート地に価値がおかれるように、そのうちICチップフリーな製品が、いい値をつけるようなことになるのかもしれない。
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# by asano_kazuya | 2006-11-16 00:36 | 身辺雑記
タイトル:サウンドノベルだけで5センチのばす(仮題ではない)
ジャンル:サウンドノベル
ハード :スーファミかPS。あるいはPS2、キューブ、DS、PSP、PS3、Wii、XBOXでもかまわない。セガサターンでもいい。
内容  :5センチのびる。何がのびるかはプレイしてのお楽しみ。



タイトルを聞いただけでバカゲーくさいが、意外と「泣ける」ゲームになる。だから、帯には、「全米が泣いた!」と書く。日本人がターゲットなので、本当は「全日本が泣いた!」にしたいが、それだとバレーボールかなんかの選手が泣いたみたいなので、仕方なく「全米が泣いた!」にする。あるいは、いっそ潔く、「仕方なく全米が泣いた!」にする。

開発コードネームは「5センチ」。開発費1億。まあ3年くらいあれば形になるんじゃないかな。まずはブレストで、「なにがのびるか」から話をはじめたい。おもしろくなるかは、まったく未知数。売れるかどうかは、なお未知数。どこか酔狂なところが資金提供してくれんもんか。
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# by asano_kazuya | 2006-11-14 02:06 | 身辺雑記
先日、家から自転車でいける距離に、「ステーキのさと」を見つけた。ランチが1000円。内容からすると悪くない値段だ。

1回ランチを食べるとスタンプを押してくれて、3つたまると、ランチが1回タダになる。しかも、サービスのせいか、すでに1回おしてくれてる。つまり、すでにスタンプは2コ。あと1回いけば、その次は無料でランチが食えるのだ。2000円の出費で、3000円分のランチ。これは相当おとくだ! いい店を見つけたとうれしくなり、今日も行ってきた。

注文のときに、カードの提示を求められる。ウエイトレスがカードを見て、名前と住所を書いてくれという。「そうか。ついに3つたまったからなのだな」、と心の中でほくそえむ。

会計時、ポイントカードの提示を求められる。しかし、カードは持っていかれたままだ。変に思ってとまどっていると、失礼しましたといって、新しいカードを渡される。さっきのとは違うカードだ。

「あの、さっきのカードはどうなったのでしょうか?」と聞くと、非常に毅然とした態度で、「新しく、このカードにグレードアップしました!」と宣言される。その堂々とした態度に気圧され、その場を立ち去る麻野。しかし、なんか釈然としない。

店を出てからよくよく見ると、ポイントが500Pとある。500円分の食事代になるらしい。しかし、本来ならハンコが3つたまってたので、1000円分のランチの価値があったはずだ。

これじゃ、グレードダウンじゃん!

しかも、よく読むと、ランチでは100円分ずつしか消費できない決まりらしい。まったく納得がいかない。オレの、あのスタンプカード、返してくれよお!
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# by asano_kazuya | 2006-09-04 19:45 | 身辺雑記