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コーエン兄弟の『バーバー』

コーエン兄弟の『バーバー』を観た。
犯罪に手を染めた一人の理髪師の顛末を語った映画だ。

以下、観たことを前提に文章を書くので、観てない人はなんのことかわからないだろうし、ネタバレがあるので読まないほうがいいかもしれない。



この映画、「悪事を働いた人に罰が当たる」という教訓話ですますことも可能かもしれない。しかし、それにしてはあまりに事態が複雑になりすぎる。

さだまさしの歌だったか。「だれもが自分の人生では自分が主人公」という意味の歌詞があった。この映画の主人公は、自分の人生の主人公になりたかったのだ。しかし、なれない。どんな形ででもなれない。しつこいほど、なれない。何かを望む。何かをたくらむ。しかし、それは裏切られる。そして、その裏切られ方が、思いもよらない形でやってくる。あまりに不意をつかれるので、自分でコントロールできない。自分が思うような形で、「犯罪者として裁かれる」ことすら、できないのだ。

途中、主人公が自分の罪を告白するシーンがある。通常、そういうシーンは一種のクライマックスとして描かれる。ところが、この映画では、その告白はあっさりと却下される。鼻くそのような扱いだ。罪の告白という、普通なら一番自分が主人公になるべくシーンでも、脇役なのだ。

周りの人間はとても饒舌だ。そして、自分だけが無口だ。饒舌な人間は、みな、自分の人生をそれなりに生きているようだ。しかし、自分だけはちがう。無口なパートナーを雇おうとしても、饒舌な男がやってくる。


自分の人生がダメなら、せめて他の誰かにその思いを託そうとする。ピアノのうまい少女を献身的に支えることに自分の役割を見いだそうとする。しかし、それも適わない。彼女の才能は凡庸だとわかり、しかも、その少女にある種の清純さを求めていたら、それすらも裏切られる。その裏切りも、向こうの好意の発露であり、ここでもわかりやすく憎むということができない。

無実の罪に問われた妻を助けようとして、妻が自殺してしまうシーンもそうだ。あるのは皮肉とからまわり。なにも確かなものをつかめない。主人公というあり方に、もっとも近づいたのは、饒舌のシンボルのような弁護士から「この男は現代人なのです」といわれた瞬間だろうか。しかし、それはあっというまに崩壊する。

結局最後は、刑に処されるのだが、さんざんもって回られたあげく、直接関係のない罪で裁かれる。自分が何かをやった結果ではないのだ。いや、もちろん、自分のおかした犯罪が発端にはなっている。しかし、それ以降の経緯と結末に、あまりにも引きずりまわされる。自分の行為の責任を取らされるわけではない。それは自分で作った物語ではない。他人が作った物語の中で、死を迎えるのだ。

ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公は、存分に主人公でいられた。自分の罪に悩み苦しむ。しかし、この『バーバー』の主人公は、犯罪を犯しても、妻に裏切られても、献身者になろうとしても、主人公になれない。

映画を観ながら、要所要所で、「ああ、こういうこと、あるな」と思わされることがある。人生において、逆境とか不幸というのは、たいてい、思いも寄らないあさっての方向からやってくる。試験に受かるか、落ちるかでやきもきしてると、「家が燃えて両親が死んだ」というニュースをどこかのテレビで目にしたりするのだ。

そういった、人生の制御不可能感を見せるには、主人公が犯罪を犯す必要はなかったのかもしれない。冤罪という筋立てでも、同じような話にはできたかもしれない。しかし、それだと、二つ難点がある。ひとつは、あまりに後味が悪すぎると言うこと。「主人公気の毒だけど、なんだかんだ言って、悪事してるもんな」という、座りのよさがなくなるのだ。そして、二つ目は、一つ目とも関連するけれども、もし、冤罪にしてしまうと、主人公が主人公になってしまう恐れがある。

不当な逮捕に反抗する人生は、たとえそれが悲劇の結末に終わっても、悲劇の主人公として人生をまっとうできる。それだと『ショーシャンクの空へ』系だ。この映画の主題にはならない。人生は不条理だとか、運命は打ち勝っていけないのか、といったことが主題ではないのだ。

人生は不条理とか、そういうカフカ的なものでもない。もっと淡々としている。あ、ということはカフカ的なのかもしれない。まあ、どっちでもいいか。なんというか、置いて行かれた感。俺だけが、センターにいない感じ。遠足の観光バスで、後ろの方は盛り上がってるけど、こっちはさっぱりといった感じ。

映画の終わり頃、主人公は、新聞か雑誌で、ドライ・クリーニングの流行と、UFOの記事を読む。それを観て、コーエン兄弟というのは、本当に底意地が悪いと思った。よくわからない、ペテン師まがいともいえる新技術や、狂人の妄想としか思えないような「物語」でさえ、現実のものになろうとしている。なのに、この理髪師の物語だけが、どうしても成立しないのだ。

原題は、『The Man Who Wasn't There』。そのものズバリだ。今訳すなら、何だろう。『草食系の人生』だろうか。
by asano_kazuya | 2010-02-11 13:05 | 映画